「柳暗花明又一村」@千葉市美術館。

もう良い加減云い飽きたが、しかし云わせて頂きたい。マジに暑すぎる…。

昨日は、未だに時差ボケも有り、早くから行動開始。先ずは「高橋コレクション日比谷」で開催中の「会田誠天明屋尚山口晃」展が、最終日だと云う事に気付き観に行った。

この「ミヅマ三人衆」の中でも、天明屋氏は個人的にも知己が有り、その昔コミッション・ワークをお願いした事も有る…筆者に「似た」その作品は、大事にコレクションしているが、今と為っては桂屋家の「家宝」と成っている。

さて今回の展示だが、気に入った作品と云えば、先ず会田作品では「ジューサーミキサー」…正直こんなに大きな絵画とは、思わなかった。先日の市ヶ谷での個展「絵バカ」での大作「灰色の山」の根本が、此処に在る。そして妙に美しい「犬(雪月花の内『月』)」…グロさの、愛しさへの昇華を観る事が出来る。

山口作品では、「九相図」も面白かったが、狩野派風の花鳥図の料理の仕方が憎い「花園」が秀逸。また天明屋の作品では、大作「九尾の狐」と、何と云っても名作「刺青マン」だろう。こう云った作品群は、一重にコレクター高橋氏の「眼の早さ」の勝利の賜物である…「信じる者」は、「儲」かって救われる(笑)。

日比谷を後にし、東京駅から総武線に乗って、今度は千葉市美術館へ…一昨日開催された内覧会に招待されていたにも関わらず、飛行機の時間の関係で参加叶わなかった、「田中一村 新たなる全貌」展である。

この作家の事は以前から気に為っていて、題材のみならず画材の面でも日本画家なのに、その作品はまるで油絵の様で、「アウトサイダー・アート」と云うか、「日本のアンリ・ルソー」の様に思っていたからだ。

猛暑の中、千葉市主催の「夏祭りイヴェント」で大勢の人が集まり大混雑の駅前を、大量の汗を拭き拭き歩き、やっと美術館に着いて涼しいエレベーターに乗ると、途中の階から小林忠館長が乗ってこられ、久々のご挨拶。本当に、色々な人に「偶然」会うものだ…日頃の行いが良いせいだろう(笑)。

さて展覧会は、時代順に進む。最初の部屋の作品をつらつらと観ていたら、観るからに呉昌碩風の中国近代絵画らしき作品が陳んでおり、一村と云うと「南国絵画」のイメージしか持っていなかった筆者が、部屋を間違えたかと錯覚した程、一村の初期絵画は中国近代絵画の模写から始動する。
その後一村の画風は、乱暴力風(「富貴図屏風」)、ヘタウマ風(「十六羅漢図」)、文人画風(「楼閣山水図」)や琳派風(「杜若図屏風」)等変遷し、よりアブストラクトに、より西洋画風に、そして超個性的にアレンジされ続ける。

しかし、やはりトドメは「奄美時代」の作品だろう。原色をふんだんに使い、構図もかなりデザイン化されて、その省略と執拗さを以てして、アートとしての迫力も増し、その情熱を強く感じると共に、恰も現代美術を観る様でもある。

全時代を通して、好きだった作品を、此処に記して置こう。「秋色」、「芭蕉」、「秋色虎鶫」、「仁戸名蒼天」(自作の額も素晴らしい!)、「崚嶺図」、「十六羅漢図」、「蓮図」、「枇榔樹の森」、「アダンの海辺」、そして「不喰芋と蘇鐡」。

50歳で単身奄美大島に渡り、紬織の染色工として働きながら、あの様な「濃い」絵画を残した一村は、孤独で反骨の「アウトサイダー」であった。

「柳暗く 花明らかに また一村」…一村の画号の由来である。

孤独に生き、孤独にそして情熱的に、個性的な作品を産み出すアーティストの作品は、あらゆる意味で甘えが無い。それは、その芸術的「責任転嫁」が不可能だからである。

今のアート界に見つける事が非常に困難なタイプの、必見の作家且つ作品であるし、(そう云うくくりを敢えてすれば)「日本画」でも此処迄強力な「現代化」が可能だと云う、参考好例になるだろうと思う。

因みに、図録も非常に素晴らしい出来のこの展覧会は、9月26日迄。