「気品の極み」な「東京宋室町」時代。

先ずは報告。頑張って続けて居た「ロー・カーボ・ダイエット」は、予想通り敢え無く終了…人生なんて、そんな物だ(笑)。

そしてニューヨークのジャパン・ソサエティでは、天明屋尚、池田学、チーム・ラボをフィーチャーした展覧会「Garden of Unearthly Delights: Works of Ikeda, Tenmyouya and teamLab」が始まった。

残念ながら日本出張中の為、オープニングには出席出来なかったが、この展覧会には実は僕も天明屋作品と池田作品を1点ずつ出展して居る…そしてこと天明屋作品「ネオ不動明王」には、今と為っては非常に懐かしい想い出が有る。

それは、この作品の制作に纏わる話で、丁度10年前の事…或る日僕とマヨンセは、美術史家山下裕二先生、浅野研究所の広瀬さん、そして未だ今の様にメジャーに為る前の天明屋氏と、表参道のイタリア料理店でディナーをして居た。

その席上、食事をしながら僕が天明屋作品を好きだと云った時、山下先生が「桂屋君、それなら天明屋がメジャーに為る前(高く為る前)に、何かコミッションして描いて貰えよ。」と仰った。すると広瀬さんも「そうよ、そうよ!」と同調し、僕も「そりゃ、良い考えだ!」と即断…その場で天明屋氏にコミッション・ワークの依頼をした。

すると無口な天明屋氏は、徐に携帯電話を取り出すと、「チョット良いですか?」と云いながら僕の顔を携帯のカメラで写し、「出来上がったら、連絡します」と云う…狐につままれた様な僕等は、その晩その後も楽しいディナーを続けたのだった。

そして数ヶ月後、広瀬さんから「出来たらしいわよ!」と連絡が有り、いそいそと取りに出掛け作品を観ると、何と其処には「剣」の代わりに「日の丸はためく銃剣」を持つ、真っ赤な火焔の中に座る「緑」の「不動明王」が居た。

天明屋氏に拠ると、本作品の制作理由は僕が「思想が右翼っぽいのと日本美術の専門家で有る事、そして何よりも不動明王に滅茶滅茶似ていたから」と云う事で、大日如来の「戦闘型」にソックリな「異国で闘う日本美術スペシャリスト」で有る僕には、正にピッタリでは無いか!(笑)

この「ネオ不動明王=孫一像」は、来年1月11日迄の展覧会期間中ジャパン・ソサエティに展示されて居るので、是非この機会に僕の「もう一つの顔」を堪能頂きたい。

さて先週は、相変わらずの時差ボケを押しながら仕事に勤しんだが、今東京で開催されて居る展覧会が凄すぎて、時間を見つけながら観て回って居る…で、今日はその中でも或る共通したテーマを持つ、何れもスゴい出展ばかりの「3つ」の展覧会の事を。

それは則ち、三井記念美術館で開催中の「特別展 東山御物の美ー足利将軍家の至宝」、根津美術館で開催中の「名画を切り、名器を継ぐ」、そして日本橋雅陶堂主人瀬津勲氏に拠る「第六回雅展ー宋風文化の真髄」の事。

これらの展覧会は各々の趣旨は異なるが、出展作品の中に「君台観左右記」に記載されるべき、足利三代義満と六代義教に拠って収集された所謂「唐物」の名品が多数含まれて居る為に、東洋古美術ファンに取って今の東京は、謂わば「宋室町時代」と化して居るので有る。

特に金曜日に伺った雅陶堂の展覧会は凄く、例えば徽宗皇帝の国宝「桃鳩図」が「ガラス無し」で掛けられたその下に、永青文庫蔵の重文黄庭堅筆「伏波神祠詩巻」が置かれ、その鳩の目の彩色や掠れのない墨の色、落ち着いた運筆に驚愕する。

或いは、同じく徽宗の「猫」の下に置かれた「青磁下蕪瓶」を「太陽光」で観る、その恐るべき発色とシェイプの美しさへの驚きと歓び!…杉本博司デザインの展示室に飾られた、国宝・重文3点を含む「たった13点」の作品は、「たった13点」でその一室を其処が東京日本橋で有った事を忘れさせ、濃密なる「宋・室町」時代へと僕を誘ったのだ!

そしてその濃密さは、三井記念美術館で展示される李迪や馬遠、青磁筒花入「大内筒」等へと引き継がれた末、僕が青山へと移っても「馬蝗絆」や牧谿の「漁村夕照」、玉澗にも漂い続け、この街東京はその姿とは正反対の気品と美的センスに満ち溢れ、芸術性の極みを僕に提供して呉れた。

付け加えれば、今回の根津美術館の素晴らしいコンセプトの展覧会には、この宋時代作品以外にも数多の日本美術の名品が展示されて居るので、是非別の機会に触れたい思うが、今回はこの2館の展覧会が、雅陶堂の展覧会の凄さを引き立てて居ると云っても、決して過言では無い。

何とも至福な「東京宋室町時代」…が、少し「名品が出過ぎ」の感も拭えない。雅陶堂の徽宗「桃鳩図」の様に「10年に1度」位の方が、有難さも増す上に作品保全の為にも良いのでは無いだろうか?

何れにしても贅沢な話だが、「お宝」とはそう云う物で有る…等とも考えた、此処数日の展覧会巡りでした。