不安な行く末。

聴く所に拠ると、今日株は再び年初来安値を更新したらしい…こんな日本で「リーダー」として頼れるのは、ハッキリ云って、もう小沢さんしか居ないのでは無いか。

その政治家人生、叩かれ捲っても決して消え去らず、打たれ強いと云う様な言葉では到底云い尽くせ無い程に強く、そして、その政治姿勢にブレが無い。毒を喰らわば皿まで、と云う事も有る。金に汚い政治家等ごまんと居る訳だから、何も小沢さんが卑屈になる事も無い。そして首相になった暁には、人に何と云われようとも改革を貫き、罵詈雑言を受けても、国を建て直して死んで行く…素晴らしい人生では無いか。小沢氏の代表選出馬を、心より期待している。

さて話は変わって、渋谷の「HMV」が閉店したらしい。
筆者に取っての、極めて個人的な「東京のレコード・CDショップの歴史」は、中学に入った頃、国立駅前に在った「レコード・プラント」と、「ディスク・ユニオン」に始まる。ご存じの方も多いと思うが、国立には一橋大学が在り、多摩地区に在る他の大学の学生達も遊びにやって来るこの街は、其なりに文化的且つお洒落な街であったのだ。

「レコード・プラント」と、「ディスク・ユニオン」は、ロックの輸入盤レコードがかなり充実していて、特に「プラント」は、店員も幼い筆者に色々と教えてくれたり、レアなモノだとアメリカ迄注文もしてくれた(当時は、注文してから1ヶ月位で店に届いた)。

その後高校生に為ると、聴く音楽や遊び場所が変わったり、より専門的な店や中古盤屋にも行ったりする様になった。渋谷の「シスコ」と「タワーレコード」、お茶の水の「ユニオン」や「ジャニス」、映画音楽専門の渋谷の「スミヤ」、AORなら青山に在った「パイド・パイパーハウス」、ソウル・ディスコの新譜が最も早かった、六本木に在った「ウィナーズ」、ワールド・ミュージック、通好みの「WAVE」等々、個性的なショップも多かった。また嘗ては、その個性的な店の、個性的店員達との会話や交友、情報交換に拠って、新しいアーティストや音楽を学ぶ事も大きな楽しみの一つだったのだが、今は昔の感が強い。

HMV」に特に個人的な思い出は無いが、この閉店の話は、音楽のみならず「人との接触なしに、モノを買う」と云う事が主流になり、ナポレオンでは無いが、行った、見た(聴いた)、話した、買った」と云う行為が、どんな分野でも非主流に為って来ている事を、如実に示しているのではないだろうか。

そしてこの現象は、アートの世界に於いても始まっており、例えばクリスティーズのここ数年の「オンライン・ビッド」での売上の伸びを見ると(拙ダイアリー「『寝耳に水』と絶好調の『上半期』」参照)、その伸びは驚異的で、極論すれば「ミズテン」の危険性を圧しても、専門家から作品説明を聞かずとも、将来はオンライン購買が主流化して行くと云う証だろう…因みに「TSUTAYA」は大丈夫なのだろうか?

そんなこんなで、昨日から日本での仕事開始。オフィスで貯まったメールの処理、東京支社に持ち込まれた作品や写真での査定を済ませた後は、麻布でランチ。千宗屋氏、ライターの橋本麻里さんと一緒に、お財布に優しい定食屋さんで「日本の洋食」を頂く。麻里さんが今、「30ページ」(!)書いていると云う「CASA BRUTUS」10月号は、「国宝特集」だそうだ…乞うご期待である!

食事後千氏と別れ、麻里さんと麻布十番の駅のエスカレーターを降りていたら、反対側を見覚えの有る顔が上って来るでは無いか…何と大学時代のクラブ・メイトで、もう何年振りであろうか!本当にこの孫一、偶然人に会う事が多い…。

麻里さんに失礼して、その友人とお茶をしながら近況を語り合った後は、京橋界隈の某骨董屋さんへ。久々の骨董屋さんの店内は、異様に落ち着く(笑)。

最近の「会」での話や、そこの主人が最近買ったモノを見せて貰ったりしたのだが、その中の或る小さな仏像にヨダレを垂らしながら、「俺はやっぱり、好きモンだなぁ」と、改めて感じたりした(笑)。

夜は、先日全生庵での講和会の出席者の内の、有志18人からのご招待で、弟の経営する和食屋「神田いるさ」での夕食会。

昨晩は特に、全生庵の平井住職との会話の中で、幾つかの重要な点を再確認したのだが、その中でも、現代の日本人が「人間の生と死」、特に「死」を実生活から遠ざけていると云う事は、かなり重要な問題点では無いだろうかと感じた。芸術に多大な感心を持つ、「今一休」の様な住職とは色々な点で共感を得、他の皆さんも含めての4時間に渡る会は、非常に有意義な物になった。

リーダーの居ない国、人を介さないでモノを手に入れるダウンロード文化、日常的に人の死の瞬間を見る事の無い現代日本人の生活は、これからのわが国の行く末を、非常に不安にさせる。

日本よ、何処へ…。