時差ボケの夜の「随想」。

時差ボケである…。

聞く所に拠ると、日本人の次期ノーベル賞有力候補は決して「M上H樹」だけでは無く、「体内時計」を研究している生命科学者、上田泰己博士かも知れないらしい。上田博士の事は以前に或る方から聞いていたのだが、何しろ早くこの研究を成し遂げて、薬に頼らない「時差ボケ」解消術を、時差ボケで悩む我々に伝授して頂きたい。時差ボケが年々酷くなる身としては(今は復活する迄、最低2週間掛かる)、余りに切実な問題なのだ。

さて、そんな酷い時差ボケの昨日の晩は、一体どうしたか。

最近は、眠いなら寝る、眠くないなら寝ない、と心に決めている。が、昨晩などは夕食後、8時過ぎに椅子でウトウトし始めたら、「寝ちゃダメよ!」と妻が起こしに来て、機嫌が悪くなりつつも、日本に居た時から読んでいた島田荘司の新大作「写楽 閉じた国の幻」を頑張って読了。この本は勿論フィクションで有るが、学術的にも中々きちんと調査されているので、この秋から巻き起こるであろう「写楽」ブームの先駆けの役割を果たすかも知れない。また小説の舞台も、筆者の地元である御茶ノ水・神保町界隈で、「さぼうる」等昔から知っている店が何件も出て来て楽しいし、浮世絵、特に「写楽研究」の歴史も改めて確認できる。そして写楽の正体は…と云うのは読んでのお楽しみだが、意外な結末で有る事は間違いない…フィクションとして読んでも、筆者は充分に楽しめた。主人公が最初の息子を亡くしたり離婚したりする、余りに暗い導入部が余分だったかも知れないが。

写楽」を読み終わって、時計を見ると10時過ぎ…散々筆者を起こしていた妻は、何時の間にかベッドに移動しスヤスヤと眠っている…何なんだ、コレは!自分だけ起こされた怒りと空腹で、今度は全く寝られなくなってしまった…時差ボケのもう1つの難点は、「体内時計」が狂い、日本時間に腹が減る事である。

大体「日本で付いた、余分な肉を落とさねば…」との使命感に燃える筆者は、帰紐育後の出勤初日である昨日のランチも、「チキン・ヌードル・スープ(小)」と「スイカ(3切)」で済まし、溜まり捲くった読むべき、又サインすべき鬼の様な数の書類と、15日に迫ったオークションの準備で疲労困憊、足を引き摺り帰っての夕食も、日本で食べ過ぎたから、そして野菜を余り食べなかったからという理由で、桂屋家の定番「特製ビーツ入り野菜スープ」のみ…救いは日本から買って帰ってきた、「たねや」の水羊羹一切れで有ったのだ。

人を起こし続けた妻は寝ているし、腹は減るし、眠れない…如何してくれよう!妻を叩き起こして、何か作らせるか?しかし妻の安らかな寝顔を見てその案は却下、この孫一、実に心根が優しいのである(恐いだけかも知れないが:笑)。結果、日本から持ち帰った美味しいクッキーを、後悔しながらもボリボリと食べ始め、これまた日本から持ち帰って来た蓮實重彦先生の新著、「随想」を読み始めた。

そして最悪な事に、(ニューヨーク時間)2010年9月1日水曜日午後10時10分に読み始めたこの「随想」が、実際問題、不眠に拍車を掛けてしまったのだ(涙)。

蓮實先生を初めて知ったのは、高校の時に読んだ「表層批評宣言」だった。当時この本を読んでも、ハッキリ云って訳が判らなかったのだが(笑)、この仏文学者とその文体を知る程に、先生の書くフランス哲学や当然映画批評にも惹かれ、その後「批評あるいは仮死の祭典」や「反日本語論」、創刊から買い続け今でも大事に全号持っている「リュミエール」や「カイエ・ド・シネマ」等に於ける、自分も大好きなゴダールトリュフォーに関する文章を愛読していたのだった。

そして筆者が大学に入学し、カリキュラム中に蓮實先生の「映画表現論」と云う講義を見つけた時の歓びは、此処に書き尽くせない。講義では、皆でフィルム・センターにジョン・フォードの作品を観に行って論文を書いたり、黒澤作品に関してディスカッションしたりしたのだが、先生の大柄で強面の外見とは異なり(184cm.有る筆者位、背が高い!)、論文が返って来たりすると、丁寧にコメントが書き添えられていたりして、誠に有り難い先生であった。

余談はさて置き、要はこの「蓮實節」の文体に乗せられて、改めて時差ボケの眼が冴えてしまったのだ。その大きな理由の1つは、この「随想」の冒頭を飾る「文学の国籍をめぐるはしたない議論のあれこれについて」である…上で少し触れた「M上H樹」に就いても「文学賞受賞者の国籍」に就いても、「先生、良くぞ云ってくれました!」。これで勢いが付いてしまい、続く川口松太郎オバマの血生臭い演説、ジャズドラマーが取り持った縁、ブルジョワディレッタントに因る批評の限界等など、好き嫌いは巌然と有るだろうが、途轍もない切れ味の言葉の数々はナイフの様に脳味噌に飛来し、空腹を癒す為に罪悪感を抱きながら頬張るクッキーの味と、睡眠すべき時間を刻々と消費してしまっている焦燥感を、木端微塵に吹き飛ばしてしまったのだった。

何と云う悦楽…明日の仕事など、もう如何とでも為るが良い!後数時間でニューヨークの夜は明け、会社に行く為の起床時間と為る…そしてこの「随想」は、妻の寝顔に嫉妬し、ダイエットに破れ、時差で苦しむ男に拠り、クッキーの包装紙の山と共に明け方近く、読了された。

(ニューヨーク時間)2010年9月2日木曜日午前9時15分、オフィスに向かう未だ酷く蒸暑い道を歩きながら(本当に此処はニューヨークか?)、筆者は「文学の国籍をめぐるはしたない議論のあれこれについて」中で、蓮実先生が何度か使っていた或る言葉を呟いていた…。

「やれやれ」、である(笑)。