また、「この日」がやって来た。

昨日は下見会初日だと云うのに、多忙であった。

筆者のVIP顧客且つコレクターとして名高い、某世界最王手の投資信託会社総帥や、有名美術館学芸員、ディーラーなどが来場し、作品の解説やオススメをする。特に「明治美術」のセクションが活発…頑張って良い作品を集めた甲斐があった。ライバルのボナムスのカタログが、今回こう云っては何だがかなり貧弱なので、こちらに人気が集まるのも頷けるが、やはりオークションは「出品作」に尽きる。オークションの結果は、「水物」なので当然何とも云えない部分が多いが、長年のキャリアの中で「信じてやっている」とすれば、「『良い作品』さえ適切な価格で出せば、世界の何処かに買う人は居るだろう」と云う事だろう。

そして夜は、「若手目利き古美術商」柳孝一氏の展覧会に顔を出し、赤の彩色も鮮やかな「神於寺縁起絵巻断簡」や、伝狩野永徳の六曲一双屏風、恐らくは元襖か貼付の「帝鑑図」、珍しい乾山の絵付角板(皿ではない)等を観た後は、来ニューヨークされている、筆者の母校である立教大学の吉岡新総長をお迎えしての、NY立教会主催の懇親会@日本クラブに出席。この「NY立教会」には、ニューヨークに住み始めて9年も経った昨年、此方に赴任していた同級生にたまたま「見つかってしまった」為、初参加させられてから、半年に1回の会に何と無く出席している。

30人程集まった会には、最年長の小泉純一郎の従兄弟氏(良く観れば顔がソックリだ!)から留学中の現役3年生迄、年もバラエティに富んだ同窓生が集合。そして吉岡新総長は、恐らく50代半ばの若々しい外見と気さくな人柄で、東大法学部出身の法学部教授、ルソーの研究者でフランス留学経験も有られるので、仏文科の教授など共通の知己も有り話も弾んだ。総長が仰るには、最近留学を希望する学生がドンドン減ってきて、立教大学などはかなり留学がしやすい環境に有る大学なので勿体無いとの事、と聞いていたら、今朝の読売新聞にも「日本人の海外就労関心無し:77%(20代でも4割しか関心が無い)」と云う、ガックリのデータが掲載されていた…何処も同じ秋の夕暮れ、で有る。

会の最後には、野球部出身の先輩の音頭で、筆者が一度も歌った事の無い校歌と応援歌を合唱…こう云う事が一番苦手(嫌い)なのだが、オトナな筆者は「口パク」で参加…3時間に及んだ会は、目出度くお開きとなった。

そして今日「この日」は、毎年筆者のオークションの下見会中にやって来るのだが、その「この日」の記憶は、何時も抜けるような晴天と、爽やかな気候である…そして下見会場は、例年通り閑古鳥が鳴いている、と思ったら、今回に限っては午後から、複数の有名美術館やトップ・コレクター等、かなりの人が来たのだが。

そう今日は9月11日、「9・11」なのである。

嘗てこのダイアリーにも書いたが(拙ダイアリー:「私にとっての『9・11』」参照)、筆者に取っても「9・11」は当然生涯忘れられない日なのだが、朝からの「セレモニー」をテレビで観ていると、遺族以外の人々の関心はこの9年間当然の事ながら薄れ続け、明らかに「行事化」している。そして最近では、「グラウンド・ゼロ」近くでのイスラム・モスク建設に対してNY市が許可を出し、その事に就いて遺族を中心にが猛反対運動が起っている。

個人的には其処に「モスク」が出来れば、「グラウンド・ゼロ」に新たな「懲りない」タワーが立ったとしても、二度と狙われる事は無いと思うが…人間の「感情」とは余りに複雑な物だ。そして「グラウンド・ゼロ」には、「フリーダム・タワー」等ではなく、世界の各宗教施設を隣り合わせに建てるとか、全ての「信仰」を受け入れる様な極めてニュートラルな、祭壇も何も特定されない、若しくは存在しない、無宗教な「祈りの建築」を建てるべきと今でも思っているが、利権の絡み切ったあの場所では到底無理な相談なのだろう。

9月のオークションの下見会が始まり、信じられない位素晴しい気候のこの日が来ると、何時もこの事を思うのである。