「血の指跡」と「象は忘れない」。

11月に発表されるノーベル文学賞のオッズが出たらしく、スウェーデンの作家Tomas Transtromerが目下4:1で最右翼、2位につけているのがウクライナのAdam Zagajewskiで8:1、村上春樹は11:1で6位である…まあ、そんな所だろう。

そんな中、先日来2冊の本を読了したので今日はその事を。

先ず一冊目は、奥泉光の書き下ろし新作「シューマンの指」。この作品は、所謂「ジャケ買い」をしてしまい、その後偶然に著者ご自身にも会ってしまった「縁の有る」本なのだが(その顛末は、拙ダイアリー「現代美術・古典芸能・現代文学な1日」参照) 、今見返してもこの本の表紙にデザインされている、「ピアノの鍵盤」と「血の指跡」には驚かされる。

そして「もう一度」驚くのは、本の表紙を開きページを捲って現れるタイトル・ページにも「血の指跡」が有る事だ!某宅でご本人にお会いした時も、某文芸誌編集長I氏が「紙で指切っちゃう事、良く有るんですよね〜」と仰っていた様に、実に「有り得る」話なのでギョッとするのだが、この「血の指跡」がどう本作内容と関わっているかは、読んでのお楽しみ。

ミステリーを読み解く面白さ、シューマンの曲に載せて綴られるサスペンスと「ギムナジウム」感は、リヒテルワルシャワ響の「ピアノ・コンチェルト」を聞きながら読み進める事に因って増幅されるので、非常にオススメである。

そして2冊目は、ライアル・ワトソン著「エレファントム」。ライアル・ワトソン博士は惜しくも一昨年亡くなってしまったが、その学術的功績・文筆活動は毀誉褒貶が有るかも知れないが、少なくとも「生命潮流」や「ネオフィリア」の文章は、それが例え科学的に証明されていない事柄だとしても、「自然科学」や「自然科学哲学」に少年・青年だった筆者の眼を向けさせてくれたと云う事実に、変わりは無いと思っている。

そして筆者は、昔から「象」と云う動物には何と無く興味が有って、それが高じて今我が家には「ガネーシャ」の石像もどっしりと腰を落ち着けて居る位なのだが、例えば「象の墓場」や「象は死ぬ時には、自分から群れを離れて行く」、「象達は低周波で会話をしている」等実話だったり、又は或る種伝説化した話も多く、この陸上最大生物に対する興味は尽きる事が無い。それに加え、最近発見されMIHO MUSEUMに収蔵された伊藤若冲の「象鯨図屏風」を観、その時に学芸員O氏から伺った、このワトソン博士の「エレファントム」の話を聞いて以来(拙ダイアリー「平安若冲製『ロミオとジュリエット』」参照)、その興味は膨らむ一方…況してや親しくなった建築家、人間の「象ちゃん」が近くに居れば、尚更で有る(笑)。

さてこの「エレファントム」の内容は、若しかしたらワトソン博士の「ファンタジー」かも知れない。しかしそれでも、この本の素晴しさは変わらないと思う。博士が少年時代を過ごした、南アフリカでの原住民や「太母」等の象達との邂逅の想い出が美しく描かれ、その間々に動物学的逸話を交えて書かれる本書は、美しくさえあるのだ。

本書の中で最も興味深かったのは、やはり断崖絶壁での白鯨と巨象の対面(この話では、双方とも「雌」)と、そして動物達の「脳の大きさ」の話である。何れも象の知能の高さを証明する逸話だが、此処では「脳の大きさ」に就いて少し引用したい。

博士曰く、先ず殆どの哺乳類の場合、子供は大人と略同じ大きさの脳を持って生まれて来て、その後の成長は殆ど無い。しかし、動物の知能が高くなるに連れてそれは変化し、例えば犀の出生時の脳味噌の大きさは大人の90%程度、チンパンジーの場合は54%程らしい。しかし象の赤ん坊の場合は、たった35%しか無く、大人に為るに連れて体も大きくなりながら「学習」をし、能の大きさと脳力が増す。これは出世時29%のヒトの脳味噌のケースと非常に近く、双方共成長と共に「記憶」や「意識」、「創造力」を司ると云われている「大脳」と「小脳」が大きくなるらしいのだ。

「象は忘れない」…英国の諺だが、子供の頃から忘れられない警句である(アガサ・クリスティーの作品で知った様に思う)。科学的根拠については詳しく無いが、疑いなく「象」は動物の中でもかなり知的であり、そしてその野生の獰猛さは「動物園」では影を潜めて居るが、この恐るべき獰猛さを象が持つと云う事実は、疑いなくアフリカ大陸に於ける白人に拠る過去の乱獲・殺害に端を発していると云う事を、意外に我々は忘れているのでは無いか。

絶滅に瀕する象と人間の共通点を考える事は、もしかしたら、これからの人類の行き末をも予言するかも知れない、と考えさせられた。そして、彼岸でワトソン博士が象達と戯れながら、幸せに暮らしている姿を容易に想像できる、「幸せな」著作でもあった。