伸ばした手の先に有る物、それは…:山海塾「TOBARI」@The Joyce Theater。

ジョン・レノンが生きていれば、彼の「古希」の誕生日だった土曜日は、セントラル・パークの集会には行かずに、久し振りにチェルシーへ。

秋になると、メイン・シーズンの11月に向けて、チェルシーの画廊もエンジンを掛け始める。散歩がてら、目ぼしい所を色々と回ったが、個人的に気に入った幾つかの作品を紹介したい。

先ずは「Matthew Marks」で展示されていた、Katherine Fritschの彫刻とCharles Rayの巨大レリーフ作品。2点ともスカルプチュラルな作品なのだが全く正反対と云って良く、Fritschの方は妙な存在感の有る、ポリエステル製の小さな「ミニチュア・フランケン」立像…これは巨大作品の「モデル」らしい。そしてRayの方はと云うと、2人の少年のバストアップをモチーフとした、何とも「これはローマンか、アッシリアンか!」と思う程の巨大レリーフで有るが、近付けば近付く程その立体感が増し、ちょっと凄い迫力である。

50周年記念展を開催している「PACE」では、先ず最高品質のRyman作品に感動したが、それと共にLucas Samarasの非常に美しい作品、「Glass House」が素晴しかった!これは鏡面効果に因って、観る者が上下左右に「無限に」映り込む「家」状のインスタレーション作品で、勘太郎(元地獄)妻と「此の中でお茶会が出来たらなぁ…」と溜息を吐いてしまった…PaceのTさん、宜しくお願いします(笑)。また御馴染みの「Sonnabend」では、大好きなCandida Hoferと某作家作品を楽しむ。その某作家作品とは、何時の日か手に入れたい垂涎の逸品なので、此処では内緒です(笑)。

そして昨日の日曜は、午後からジョイス・シアターへ。山海塾の公演「TOBARI-As if in an inexhaustible flux(邦題:降りくるもののなかでーとばり)」を観る為であった。

劇場に着いて見ると妻が、昔の知り合いで、元山海塾と世田谷パブリック・シアターの制作ディレクターだったMさんとばったり。客席はと云うと略満席で、観客の99%は外国人である。此処ニューヨークは、計5カ国・16都市で、37公演を行う、今年の山海塾ワールド・ツアーの最後を飾る北米ツアーの起点で有るが、この地での「12日間」と云う公演日数を考えると、この日の「入り」は凄い事で有る。

何を隠そう、恥ずかしながら、筆者が山海塾の公演を「生」で見るのはこれが初めてで、知っている事といえば、主宰の天児牛大(あまがつ・うしお)氏が、「舞踏」から重大な影響を受けていると云う事と、この山海塾が日本では無く、世界のコンテンポラリー・ダンスの最高峰である「パリ市立劇場」を本拠として、20年以上共同制作をし続けている事(この辺が、フランスと云う国が芸術に於いては、本当に尊敬すべき国であると云う証である!)、そして嘗てシアトルでの宙吊りパフォーマンス中に、メンバーが落下事故死した事位であった。

席に着くと劇場内が暗くなり、90分間ノン・ストップ・パフォーマンスの「TOBARI」が始まった。

真っ暗闇の中、ライトを浴びて次々と浮かび上がる、白塗り半裸の男達。贅肉の一切無い肉体は(う、羨ましい…:笑)、砂を引いた舞台を摺足で歩き廻り、そして手を振り上げる度に全身に塗ったドーランが舞い立つ…此れがまた得も云われぬ美しさで、舞台効果を増幅させる。セットはシンプルな黒緞帳と、背景と舞台上に設えた「宇宙」の満天の星空をイメージしたイルミネーションを、時折使用するのみ。音楽は美しいが、それ程現代的・先鋭的、もしくはミニマルでは無く、どちらかと云うと「舞踊」を美しく見せる為の物の様に感じた。

さて山海塾初体験で有った訳だが、この日の公演を観る迄は、山海塾に関して何故か土方の暗黒舞踏のイメージを強く持ってたのだが(若しかしたら一般の人々は、殆どこの「誤解」をしているかも知れない)、実際それとは全くと云って良い程異なり、例えば太極拳や能の様な非常にゆったりとした動き、それに因って酷使される鍛えられた筋肉、そして最も眼を惹かれる「振り」の一つである「手」の動き、それら全てが純粋に美しい。そして、これらを繰り広げる坊主頭・白塗り・半裸の男達が、筆者に取ってまるで何に見えたかと云うと、驚くべき事にそれはエジプト僧侶で有り、宇治平等院の「雲中供養菩薩」(俗名:「飛天」)で有ったのだ!

そう、この「TOBARI」という舞台とは、振付をした天児牛大と恐るべきダンサー「蝉丸」を中心とする全員が、手を翳して伸ばし、その指先に有る筈なのに届かない「或る物」が、一体何で有るかと云う「問い」では無いのか…そしてそれは大宇宙の中で永遠と続く、森羅万象の生死を司るであろう、西行の云う「かたじけなさに涙こぼるる」「何事か」への「祈り」なのだ、と勝手に解釈をした。

観客総立ちでの終演後、妻が天児氏と若いダンサーを紹介してくれたのだが、実際に会った天児氏は、舞台上での氏とは別人の様に細く小柄で、しかし修行僧の様でも有ったのが印象深かった。

劇場を後にすると、お腹が空いたので、最近アイアン・フラットに出来た話題のマーケット「Eataly」に行ったのだが、超満員だったので其処では「ジェラート」だけを食べ、ジャズ・ピアニストのH女史を誘って、結局チェルシーの行き付けピザ屋「C」で超美味い「ビーツ・サラダ」や「カラマリ・サラダ」、「POPEYE」や「マッシュルーム」、「エシャロットとミートボール」のピザ等をガツガツ食す。

そして満腹に為ると、「ほんのチョッと、飲みに行く」と云う妻とH女史と別れて、「まるで宇治平等院の『雲中供養菩薩』を観る様でした!」と云った時に天児氏が見せた、破顔一笑の顔を思い出しながら、涼しい夜の街を1人ブラブラと歩いて帰ったのだった。

良い週末であった。