「本物の『貴族』」との再会。

オバマ大敗から一夜明けたが、昨日のサザビーズのイヴニング・セールは、2億2千万ドル以上を売り上げ、成功した模様。詳しい結果は、今晩のクリスティーズのセール終了後にお伝えする事にして、此処からが今日の話題。

それは、昨日の昼の事である。日本から来ている或る顧客に呼び出され、階下のロビーでその顧客と話をしていた時の事。

ふと見ると、背の高い金髪の外人が向こうからやって来るのが見えた。見覚えの有る顔だな、と思ったのも束の間、向こうも此方を見てニッコリ…マークでは無いか!お互い小走りで近寄り抱き合い、そして背中を叩き合い、お互いの健勝振りを懐かしさと共に確認し合った。

マークを知ったのは今を去る事18年前、場所はクリスティーズ・ロンドン、彼は筆者の「最初のボス」であった。その当時、クリスティーズ・ロンドンでの「トレイニー」(訓練生社員)として採用が決まり、英語も殆ど出来ない侭単身ロンドンに渡った筆者は、そのトレイニーとしての1年間を、3ヶ月間ずつ4つの部門で働く事に為っていたのだが、その最初の部門が、マークが部長をしていた「19世紀コンチネンタル絵画部門」であったのだ。

この部門は、印象派とイギリス絵画「以外」の19世紀ヨーロッパ絵画を専門に扱う部門で、日本人に馴染みの有る作家と云えば、コローやテオドール・ルソー等の「バルビゾン派」位で、例えばフランス語で書かれた「ラルース・アーティスト人名辞典」を引くと20何人も出てくる「Koekkoek」(「クッククック」と読む)と云う北欧の画家集団や、イタリアやドイツ、スペイン等の、見た事も聞いた事も無い画家達を扱っていた。

筆者に取ってこの部門での3ヶ月間は、ハッキリ云って「人生最大の悪夢」と云っても過言では無い程に辛かった時期なのだが、それは、自分の余りの英語力の無さと全く知識の無い分野でのカタログ作業、そして恐ろしい程に厳しく、短気なボスのせいであった。

そのボスのマークは、「英国貴族」である。しかも「Sir(サー)」より上位・格式の有る世襲「Lord(ロード)」、且つ17世紀まで遡る古い家系で、以前写真で見せて貰った彼の実家は、所謂映画に見る様な「古城」であった。そして初めて彼に会った時、此方が「My name is Magoichi Katsuraya」と自己紹介したら、「…The Lord Poltimore」(因みに「Sir」の場合は、「サー・ジョン」の様にファースト・ネームが続き、「ロード」の場合はファミリー・ネームが続く)とタイトル付きで応えたのを、非常に奇異に思った事を今でも良く覚えている。

風貌で云えば鼻が高く細身で、背も非常に高く(190cm.は有ろうか!)、ダブルのスーツを好み、性格はと云うと「瞬間湯沸器」で時にはかなりシニカルな言動も取る、典型的な「英国紳士」なのである。筆者の意味不明な英語に苛立ち、校正をしていた赤ペンを筆者に投げつけ、「I'm wasting my red ink !」「Go back to Far East!」と怒鳴られた事も数知れず、疲れ果てて帰った夜、ロウワー・スローン・ストリートの屋根裏部屋で、何度悔し涙を流した事か…(この孫一が、である…)。

それでもマークは、筆者が部門での3ヶ月の研修を終えた日には、レストランに招待してくれて、苦労を労ってもくれた。そしてその時彼が、筆者を非常に厳しく扱った理由を打ち明けたのだが、それは、彼の部門に訓練生として入った「最初のアジア人」だった筆者を、一体どう扱って良いのか全く判らず、筆者をリクルートした長い付き合いの英国人同僚に尋ねた所、一言「Just kick his ass(奴のケツを、ただ蹴っ飛ばせばいいんだ)!」と云われたらしい…それにしても、厳し過ぎだと思ったが(笑)。

また筆者が東京支社に移り、初めて昇進した時には真っ先にメールをくれて、"Mogo, I'm very proud of you !" と云ってくれたのもマークであった。今から思えば、マークとのたった3ヶ月間の日々は何とも苦難の日々であったが、彼の厳しくも暖かい指導が今の自分の礎となっていると、本気で感謝をしているのだ。

マークは今、ライヴァル会社「『サザビーズ』・ヨーロッパ」の副会長をしている。なので、知らない人が昨日の我々の再会シーンを見たら、何故英国貴族と日本人が、そしてサザビーズ・ヨーロッパの副会長とクリスティーズ・ニューヨークの下っ端が、跳ぶ様に抱き合って再会を喜んでいるのか、全く理解できないに違いない。

そして、「元気だったか?」「僕達の付き合いは、もう何年になるだろう?!」と云った彼の言葉は、昨日の「ロード・ポルティモア」との再会を、いとも簡単に「マーク」との再会に変えてしまい、我々を「18年間の長い友人」に戻してしまったのだ。

「本物」の英国貴族は、「本当」の差別など決してしない。これは未だ階級制の残るイギリスの素晴しい所で、ブルー・カラーも貴族も、自分の階層や仕事に対して彼らなりのプライドを持って尊敬し合っており、一見階級が無い様に見えて実際鼻に付くほど階級意識の強い日本とは、エラい違いである。

「今度ロンドンに来たら、必ず連絡しろよ!」…ひょろりとしたマークは、ウインクをして、筆者の元を去って行った。

そして彼が立ち去った後には、確かにロンドンの香りが漂っていた。