「メディア」としての絵画:白隠シンポジウム@ジャパン・ソサエティ。

尖閣列島ビデオの「流失」で大分騒がれている様だが、「『証拠ビデオ』を見せない方が、中国(国際)関係的に良い」等と云っていた人の気が知れない。もういい加減どっちが悪かろうと、何故白日の下に全てを曝け出さないのか、本当に理解に苦しむが、政府がとっととやるべき事を誰か政府内、若しくは海上保安庁内の一個人がやったのだとしたら、それが一体誰にしろ、喝采を送りたいと思う。しかしノーベル賞式典参加を拒否する様に各国に圧力掛けたり、「艾未未」(アイ・ウェイウェイ)迄軟禁とは…流石中国、「もう行く所まで行く」であろう(笑)。

さて昨日は、夜にジャパン・ソサエティで開催された「Hakuin Symposium」に参加してきた。このシンポジウムは、花園大学国際禅文化研究所、浅野研究所(株)とジャパン・ソサエティの共催企画で、芳澤勝弘先生と山下裕二先生がゲスト・スピーカーとして参加される、現在ジャパン・ソサエティで開催中の「白隠展」の関連イヴェントである。

筆者に取ってこの「白隠シンポジウム」は、今年の3月に東京で参加した以来であるが(拙ダイアリー:「ジャパン・アート・ダイアリー44:『白隱フォーラム in 東京 2010』」参照)、内容も異なるであろうと考えての、再びの参加で有った。ジャパン・ソサティに着くと、玄関でプカプカしている(笑)先生方お二人にバッタリお会いし、ご挨拶…旅の疲れも見えずお元気そうであった。会場に行って見ると、入りはソコソコで少し寂しい。顔馴染みの学者や業者、お茶や日本文化関係者等と話している内に、シンポジウムがスタート。

先ずは、このシンポジウム後、夜中の韓国便で飛び、ソウル経由で日本へ帰られると云う超ハード・スケジュールの芳澤先生に拠る、新出の絹本著色掛幅「観音図」に就いてのプレゼンテーション。

この芳澤先生のプレゼンは、「パワー・ポイント」を十二分に活用した「視覚的」にも素晴しい内容で、シンポジウムと云うと何時も「眠くなる」筆者としては(恥)、真に以って有り難かった!この作品は、観音を閻魔大王の机に座らせて経を持たせ、その観音を以ってして、観音・閻魔双方で代表される「人間の二面性」「仏の教えの厳しさと寛容さ」等を表現し、そして後ろの衝立に書かれた、法華経から引かれた「賛」と共に、白隠の思想を伝える手段としての、所謂「『メディア』としての絵画作品」としての好例である。

そして次の山下先生のお話は、白隠が18世紀の京都の画家達に与えた影響に就いて。

このレクチャーは、これ又かなり面白く、非常にタメに為った!先ずは、18世紀と云う時代と白隠が、日本美術史に於いて如何に蔑ろにされていたか、から始まり、19世紀のパリ並に「若き芸術の才能」が集結していた京都画壇に於ける、伊藤若冲曾我蕭白長澤芦雪の絵画に見える強烈な「太く強い」輪郭線、例えば雪舟の「慧可断臂図」の様な墨の太いストロークの事だが、これはもう「表現主義的」であり、白隠絵画の影響大であると云う話。そして、これも最近発見されたと云う、白隠の賛の入った池大雅の作品を見れば、白隠と京都の画家達との芸術的交流は明白で、その「アマチュア」で有るにも拘らず、プロが驚く程の白隠のブラッシュ・ワークは、京都の「奇想の画家」達を震撼させたに違いない。

またディスカッションでは、これは初めて知ったのだが、白隠が江戸に行った時、二代目市川団十郎の芝居を見た事が有るとの事で、その旨が手紙に記されているそうだ。これは非常に興味深い事実で、例えば江戸の浮世絵師が白隠の絵画を見た事が有ったか、また交流が有ったかどうかについては、この両者は或る意味「アウトサイダー」同士であるのだから、京都画壇とはまた違った影響関係に有ったのでは無いか…ウーム、白隠さんへの興味は尽きない。

2時間に及んだシンポジウムは、最後にモニターに大きく映し出された白隠達磨が口を動かして、何とサッチモルイ・アームストロング)の「What a Wonderful World」を歌い出して(!)、終了。

流石、絵を手段として「伝える事」に重きを置いた白隠に倣って、芳澤先生と山下先生が中心となった今回のシンポジウムは、我々聴衆の心を最後まで離さず、白隠の画業を通してその思想を皆に考えさせると云う「手段」を駆使しての、楽しくも非常に勉強になるイヴェントであった。

動中工夫勝静中百千億倍。(拙ダイアリー:「『白隠』と焼肉」参照)。