「清算の条件」@NH009便。

昨日、思ったよりも寒い日本に着いた。

そして空港を出て、リムジンバスの乗場に行き、乗る筈の次のバスを待っていた時の事だ。

その時筆者は、ラインに並びメールのチェックをしていたのだが、「Excuse me, where are you going?」と声が掛かり、ふと顔を上げて見ると、バスの係員の女の子が目の前に居る。「箱崎迄だけど…」と応えると、その係員の娘は顔を赤らめ、「アッ、申し訳有りませんでした!」と咄嗟に謝った。

って、何だ、又か!又もや外国人に間違われた…此で一体何回目だろうか!そして、何故日本人に見られない事がこんなにムカつくのか、我ながら不思議に思いながらも、憮然とした面持ちの侭バスに乗り込んだ…全く以て、先が思いやられる(笑)。

さて、恒例のANA009便で観たアート。「美の巨人たち」の「如庵」の回か、優ちゃんの「FLOWERS」(この映画での優ちゃんの花嫁姿は、本当に美しい!)にしようかとも思ったが、2009年のアルゼンチン映画「El Secreto de sus Ojos(邦題:瞳の中の秘密)」に就いて記す事にした。

この映画は、第82回アカデミー最優秀外国語映画賞に輝いた作品で、監督はファン・ホセ・カンパネラ、主演はリカルド・ダリンとソレダ・ビジャミル。所謂「謎解き」のサスペンス・ドラマだが、その背景に存在する「人は如何に過去を清算するのか」と云うテーマの重さが、全編に漂う南米の薫りと共に、本作品に得も云われぬ重厚さを与えている。

主人公である引退した裁判所書記官が、25年前に未解決の侭終わって仕舞った、或るレイプ殺人事件を回顧し、小説にしようとする処から話は始まる。が、彼に取ってこの「小説」とは口実に過ぎず、実は彼が25年間「清算」出来ないでいる事を、繰り返しているに過ぎない。

23歳の若く美しい妻を殺された夫は、容疑者を見つける為に毎日駅で張り込み、主人公の書記官も、上司の妨害に会いながらも、相棒の部下と共に執拗な捜査を続け、一度は犯人を逮捕する。が、その犯人は司法取引に因って釈放され、しかも逆怨みしたその犯人に因って、自分の身代わりに為った相棒が、殺害されてしまうのだ。

育ちも学歴も全く異なる、美しい上司の女性判事補への報われない恋慕、自分の代わりに殺された親友だった部下の死、そして未解決の事件…25年と云う長い年月、主人公、女性判事補、妻を殺された夫、そして犯人の4人が、如何に過去を「清算」するのか、と云う物語なのである。

先ず以て、役者達の演技が素晴らしい。主人公のダリンの、如何にも南米的な陰の有る渋さ(ちょっと友人の編集者Nに似ている!)と、ビジャミルのハッとする程の理知的な美しさ、そして脇役陣も秀逸で、親友の部下、判事、ライヴァル書記官等の俳優達の演技も大変素晴らしく、また夫とレイプされ殺害される妻役の若手2人の俳優は、極めつけの南米美男美女で、2人とも独特のセクシーな魅力が有り、溜め息が出る。

何かを為し得無かったと云う「後悔」、誰かを許す事の出来ない「恨み」、犯して仕舞った「罪」、伝えられなかった「想い」、云えなかった「言葉」、消え去る事の無い「悪夢」、そして書き替える事の出来ない「過去」…人がそれらを「清算」する事は、可能なのだろうか…?

この作品のテーマは、此処にこそ存在するのだが、例えば、劇中主人公と夫が「死刑制度」の無い彼等の国での、「極刑」に就いて語るシーンでの、「妻を殺した犯人が、たった一本の注射で眠る様に逝くのは許せ無い」と云う夫の象徴的な台詞、そしてこのサスペンス・ドラマの結末の意外性に、その解答が有るのかも知れない…。

そう、人は過去と云うモノを、そう簡単には「清算」出来ない。

しかしこの映画は、何とも温かく、救いと共に美しく終わり、そのラスト・シーンは、観る者に「過去を清算する勇気」を与え、一つの真実を教えてくれるのだ。

「時間」とは、「清算」の十分条件では無いが、「絶対条件」で有る、と云う事を。