「自己の存在理由」と「循環の概念」:"The Tree of Life."

香港出張中に、或る現代美術史家から貰ったお土産が有る。

それは、2個のバッヂの付いたT-シャツで、その白地のT-シャツには黒い文字で大きく「Where Is Ai Wei Wei ?」と書かれて居り、バッヂの1つにはシャツと同じ文句が、もう1つには「艾未未在哪里」と有る。

さて、気温の高かったこの間の日曜日、在ニューヨーク中国領事館から1ブロックの所に住む者としては、決死の覚悟でこのT-シャツを着て出掛けた処(笑)、擦れ違った人の殆どがT-シャツに書かれた文字を読み、その上数人が「Ai Wei Weiとは誰だ?」と聞き、2人が「I Like Your Shirt!」と筆者に告げた。其処で思った事と云えば、ニューヨークでさえこの程度なのだから、世界の中でのアートに関する認知度は低いのだと云う事と、国家が世界から、そして国民から「何か」を隠すのは当然かも知れないが、「良く知られたモノ」を隠すには覚悟が必要である、と云う事だ。

しかしニューヨーク・タイムズ紙に拠ると、筆者の「決死のT-シャツ活動」に因って(笑)、かのAi Wei Wei氏が滔々釈放されたそうである…目出度い事だが、脱税を認めたからだと云う。このT-シャツを着る意味も、愈々無くなってしまった。

そして昨日は極度の疲労と時差ボケの為、一日お休みを貰い休養…しかしその朝から、社全体メールで驚愕のメッセージが!前クリスティーズCEOのエド・ドールマンが会社を辞め、カタールの「Museum Authority」のボードに為ると云うのである。そんなニュースに驚きながらも、休日の朝と云えば孫一家定番の、「パンケーキ・ブランチ」を楽んだ。

昨日のパンケーキはと云うと、何時もの「ホテル・ニューオータニ」では無く、今回の日本出張中に同士K氏の会のメンバーで有るSさんから頂いた「Maison romi-unie」の物。Sさん曰く、「孫一さんがダイアリーで『ニューオータニ』のパンケーキ・ミックスを褒めちぎっていて、それはそれで理解出来ますが、世の中には他にも美味しいパンケーキ・ミックスが有るんです!」との事で、この「Maison romi-unie」ともう一つのパンケーキ・ミックスをプレゼントしてくれたのである。

妻が慎重にレシピを読み、今回は「しっとりタイプ」を作り、一緒に頂いたラズベリー・ジャムとキャラメル・ディップと共に頂いてみる。旨い…これは「ニューオータニ」の物よりも、より「ケーキ」である!一瞬の内に食してしまったが、Sさん、もう一つの方も近々試して、此処に報告したいと思います!

さて話は変るが、皆さんはどんな時に、自分の人生を振り返るだろうか?

その内に来るで有ろう「死」を目前にした時には当然そうするかも知れないが、自分の今までの生涯、辛い過去や楽しかった子供時代の思い出、自分を取り巻いて来た親兄弟や友人の事、そして自分が「今、此処に居る『存在理由』」を、日常生活のほんの「一瞬」に考えた事は無いだろうか?

パンケーキでお腹が一杯に為った後、その「一瞬」をテーマとした映画を見に行く事に…その映画とはテレンス・マリック監督作品、「The Tree of Life」。ご存知の方も多いと思うが、本作の主演はブラッド・ピットショーン・ペン、本年度カンヌ映画祭で最高賞「パルム・ドール」を受賞した注目作品である。

内容を詳しく此処に記すのは止めて置くが、ヨブ記38章6-7節の「その土台は何の上に置かれたのか。その隅の石はだれがすえたのか。かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった」から始まる本作は、何しろ少々シュール且つ難解な作品で、テキサスの田舎町で育った主人公(ショーン・ペン)の、その父親(ブラッド・ピット)との子供時代、そして息子が建築家と為った現在の映像と共に、「生命の起源」を示唆して居るで有ろう、云って見ればキューブリックの「2001年宇宙の旅」のオマージュとも見える映像が、シンクロしながら紡がれる。

「生命の起源」に関する映像は非常に美しい…がしかし冗長で、恐竜等がCGで出て来てしまう様な所が「NG」なのだが、実写の方のストーリーは明快、大好きなショーン・ペンや子役達の演技は素晴らしく、ブラピも音楽家になれなかった工場勤務の厳格な父親役をそれなりにこなしているが、この映画での何よりの「宝物」はと云えば、母親を演じた女優ジェシカ・チャステインで有ろう!

この女優の事は、ハッキリ云ってこの作品を観るまで知らなかったのだが、その北欧系の透明感と素顔の美しさのみならず、演技も大変に素晴らしい…正直、こんなに美しい女優も居たものかと思った。元々「ER」や「Law & Order」等のテレビに多く出演していたらしく、映画の方はこれからの様だが、何とも楽しみな女優を見つけたものだ!

それにつけても、この作品のテーマは非常に理解出来て、それは自己の存在が否定しようも無く「親」の存在と教育に所以する事、そしてそれは、延いては宇宙の中の一存在であると云う、自明では有るが日常的には中々考えられない事実を再認識する事に、大きな共感を呼ぶ。かく云う筆者も、ニューヨークの街を歩きながら、或いは移動中の機内や車内で、ふと「自分が一体何者で、何処から来て何処へ行くのか…何故この世に生まれて来たのか…必ず死ぬのに」と云った事を、一瞬の内にしかし非常に深く考えてしまい、立ち止まったり言葉が出て来なかったりした事が過去に何度も有ったからである。

因みに、映画の最後で中年になった主人公のショーン・ペンが、砂漠の様な場所や山、海岸を彷徨い、親兄弟に邂逅するシーンが有り、そして彼が高層ビルのエレベーター内で昇降する間に流れる、「心電図」の様な「ピッ、ピッ」っと云う音と共に、「これは死後の世界か?」「ショーン・ペンは死に瀕しているのでは無いか?」と思ったのだが、如何だろう?

作品中に何回も登場する、主人公が育った家の庭に在る大きな木、そしてこの「私は何処から来て、何処へ行くのだろう」「全ての生命は宇宙に繋がる」と云う概念は、オーストリア工芸美術館所蔵のクリムトの著名な作品、「Stoclefries - Der Lebensbaim(生命の樹)」を筆者に想い出させる。そしてこのカンヌ最高賞受賞作「The Tree of Life」は、琳派を髣髴とさせるクリムト作品と共に、「生命の循環」の存在と「自分の存在」がその大きな「循環」の一部である、と云う事を、改めて認識させてくれる作品なので有った。