香港で蘇った「龍壺」との旅・前編。

14.23カラットの「1粒の」ピンク・ダイヤモンドが、1億7990万香港ドル(約19億6900万円)で売れた昨日、中国陶磁器の下見会に、ニューヨークの同僚Hが、或る非常に懐かしい人物を連れて来た。

その人物とは、韓国人コレクターのXさん…このXさんとの付き合いは、もうかれこれ14、5年にも為るだろうか。Xさんには、筆者が新入社員の頃から大変可愛がって頂き、返し切れない恩義も有るのだが、何よりも筆者のキャリアの中でも、決して忘れる事の出来ない或る「旅」の事を、会う度に思い出させる方なのである。

それは、筆者がロンドンとニューヨークでの研修を終えた直後、ニューヨークで開かれた日本・韓国美術オークションの手伝いに行った時の事であった。

さて、当時の韓国は「経済バブル」の黎明期で、オークションに出品される作品も、次から次へと高値で落札されていた、夢の様な時代で有った。そしてその時のオークションでも、サイズもかなり大きく状態も完璧な、18世紀の「李朝染付五爪龍文壺」が出品され、当時としては破格の150万ドルのハンマー・プライスで落札されたのだが、その落札者が件のXさんだったのである。

そのXさんは自国の逸品を、海外のオークションに於ける韓国美術の黎明期から買い続けているコレクターの1人で、ソウルやニューヨークでお会いする度に、良く食事やカラオケ等に連れて行って頂いた。そんな気さくだが眼の厳しいXさんが、当時日韓美術部門長であった英国人Sに、落札した「龍壺」に関して「或るリクエスト」をしたのが、「悪夢」の始まりで有ったのだ(笑)。

何故なら、そのXさんのリクエストとは、その巨大で重く、且つ高価なこの龍壺を、ニューヨークからソウル迄何と「『手持ち』で運んで来て欲しい」と云うモノで、そしてその「クーリエ」として、当時若く屈強だった筆者に白羽の矢が立ったからである。

「手持ちって、そんな無茶な!」と思ったのも束の間、英国人部長に「マゴ、運送中この壺にチップ(欠け)1つでも作ってみろ…お前は一生、クリスティーズ・ニューヨークの『トイレ掃除』だからな!」等と脅迫され、ビビり捲りながらも、機内持ち込み用に作った、内側にパッキング材を貼った特製風呂敷に包んだ龍壺をぶら下げて、大汗を掻きながら人生初の「ストレッチ・リムジン」に乗り、空港に向かった。

空港の検査場では、何人もの検査官が集まり、「何だこれは!」「何故チェック・インしないのだ?」等喧々愕々…「お壺様」用のチケットを見せてやっと通過し、汗だくになって、Xさん指定の深夜発大韓航空機に乗り込んだのであった…。

以下、興奮の次回を待て(笑)!