我が家にやって来た「彼女」。

昨日は、天気の良い日曜日だったが、先ずは泉屋博古館分館で開催された(昨日が最終日:次は確か佐野美術館)、「特別展 幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸」を観に。

この展覧会は、明治工芸の世界的コレクター村田理如氏が運営する、「清水三年坂美術館」のコレクションを中心に、明治の金工芸術の「凄さ」を紹介するものである。

村田氏は、云う迄も無くクリスティーズの大顧客でも有り、筆者も長いお付き合いをさせて頂いているが、実は氏のコレクションは明治工芸のみならず、川瀬巴水小村雪岱、江戸期の印籠やアフガニスタンの装身具迄、多岐を極めている。
しかも今回の展示は、その膨大なコレクション中の白眉とも云える金工師逹、後藤一乗や正阿弥勝義、狩野夏雄や鈴木長吉等の作家物、また起立工商会社や大関武蔵屋等の「輸出会社」の名品も出展されているので、そのクオリティの高さを実感出来るだろう。

展覧会場は、最終日と云う事も有り、かなりの混雑だったが、来場者の年齢層も学生からお年寄り迄バラエティに富み、皆腰を屈めたり、拡大鏡を使用したりと、かなり真剣に観覧していた。

この「明治工芸」は、最近筆者のオークションでも「Arts of the Meiji period」と名付けた特集を組んだ様に、元来嘗ての浮世絵版画同様、国内よりも海外での評価の方が高かった分野なのだが、最近やっと日本でも「ファイン・アート」の一分野として認められ始めた様で、昨日の美術館の混雑振りを見ると、それも成る程と頷ける。素晴らしくも、画期的な展覧会であった。
さて、本題である。

先日、我が家に滔々「憧れの彼女」がやって来た(涙)!あぁ、彼女の到来を、一体何年待った事だろう…彼女に初めて会ってから、確かもう丸2年以上の月日が経っている筈だ。

断言するが、この2年間離れて暮らしていても、筆者が彼女の事を考えなかった日は、1日足りとも無い。彼女の、何時も微笑んでいる様な、慈愛に溢れたその優しい顔、時にうっすらと紅を引いた様にも見える厚目の唇、美しい額の真ん中で分け両肩に垂らした髪。初めて会ったあの日以来、彼女の「全て」は筆者を虜にし、どうしても彼女を手に入れたい、あの唇や髪に触れたい、出来る事なら昼夜問わずに一緒に居たい、と思い焦がれて来たのだ。

そして、懺悔の心を以て此処に告白すれば、「遠距離恋愛」をしていたこの2年の間、筆者が出張で来日した折には、忙しい忙しいと愚痴りながらも、彼女の為にはどんな事をしてでも時間を作って、妻に内緒で彼女に会いに行き、また会えない日には、夢の中でも彼女との逢瀬を重ねて来た…が、もう悶え苦しむ必要は無い。彼女が私のモノに為った以上は!

そう、もうお分かりだと思うが、この「彼女」とは、藤原時代の木造「女神(じょしん)座像」の事である。この女神像に関しては、以前に此処で記したので繰り返さないが(拙ダイアリー:「ピンナップされた『愛しの女神さま』」、「『優しい悪魔』と『彼女』との再会」参照)、極く最近漸く全ての支払いを終え、遂に「彼女」を我が家に連れ帰る事が出来たのだった。

云って置きたいのだが、この女神像は、ハッキリ云って、筆者には過分なクオリティの作品である。真面目で、時折妙に昔気質な所を見せる老舗古美術商の主人は、恐らくはこの女神像を筆者に見せてしまった事を、深く後悔したかも知れないが、「一度決めた以上は」と潔く譲って頂けた事が、大層有り難かった。

しかし今でも眼に浮かぶのは、パッキングを終え、最終的に女神さまを筆者に引き渡した時の、主人の何とも云えぬ悲しそうな顔である。骨董屋さんは、自分が惚れて仕入れたモノを売らねばならない時、良く「嫁に出す」と云うが、思うに、まだ幼いご主人の可愛い娘さんが、何時の日か嫁ぐ時にも、彼は正にあんな顔をするのでは無いか…とマジに思った程だった。

しかしこの女神像も、この生真面目な主人の元に来なければ、決して筆者の元に来る事も無かった。そしてそれは、人と人との「縁」以外の何物でも無く、如何なるモノ、特に素晴らしい古美術品は、その眼や、延いては人格に於いて信頼の置ける「人」を介してのみ存在し得るのだ、と云う事を再認識させてくれる。

そして筆者はと云えば、「女神さま」を箱から出して、上から下から、右から左から、前から後ろから、あっちに置いたり、こっちに置いたりと、試すがえす眺めては、「何と『身近な誰かさん』に似ているのだろう!」と驚愕するのである…その「身近な誰かさん」とは、此処で改めて云う迄も無いだろう(笑)。

数寄者の生真面目な主人が、筆者を「婿」と見込んで送り出してくれた「女神さま」…深謝と共に、一生大事にする事を此処に誓います!