「せぬならでは、手立てあるまじ」。

昨日は或る意味、「仕事納め」な日であった。

朝から顧客の元で屏風を観た後、アイ・ウェイ・ウェイ展を観に、白金の「MISA SHIN GALLERY」に赴く。此処には、「若」ことY君が某顧客の所から出向しているので、挨拶も兼ねて伺ったのだ。

到着してみると、ギャラリーの外観は、まるで「町工場」。しかし中に入ると、アイ・ウェイ・ウェイに拠るパイプと赤いクリスタル、そして電球のインスタレーションが出迎える。

行ったり来たりして作品を眺めていると、Y君が出て来て、ニューヨーク以来の久し振りの再会…Y君、相変わらずのイケメン振りである…筆者が女の子だったら、イチコロだろう(笑)。Y君に拠ると、このギャラリー・オープニングにはアーティスト自身が来て、レクチャーをする事に為って居たのだが、ご存知の通り、彼は中国政府に因って自宅軟禁された為、中止に為ってしまったらしい。そして最近、アイ・ウェイ・ウェイの自宅軟禁状態は解かれた様だが、しかし彼が韓国に向けて出国しようとした所、足止めを喰らったとの事…中国の夜明けは、本当に遠い。

ギャラリーを後にし、昼頃には茶人のS氏を訪ね、年末のご挨拶。

先ずは茶室に招かれ、ご先祖様所縁の、気品高く、しかし力強い花入を拝見。暫くすると、ホカホカに蒸かした「虎屋饅頭」がS氏に拠って出され、手に取り割ると、午後の陽が障子越しに柔らかく射す静かな茶室に、饅頭から立ち上る湯気が漂い、こんな冬の風情も楽しい。

そして、饅頭を一口頬張る…弱火でジックリと蒸され、餡まで熱々、もう頬が落ちるほど旨い!そして、その後味が消えるか消えないかの頃合いで、お茶が出された。

見覚えの有る、これも所縁の赤茶碗、そしてその茶碗はしっくりと手に馴染み、ゆっくりとその包み込む手と同化して行く。喉をゆっくりと通過する薄茶は、饅頭の甘さを殺しながら生かし、そして饅頭は、お茶の味を活かす事のみに存在する。

お茶を頂き、S氏と今年一年を振り返って、共通の想い出を何気無く、淡々と語りながら、それでも会話の途中時折訪れる静寂(しじま)に、外の烏の声を聞いたりして、それが何とも云えぬ、年の瀬のお能で云う所の「せぬならでは、手立てあるまじ」(世阿弥)的な、茶室内に存在する人間達に自然に委ねられた、「間」と何もしない「静寂」のコンビネーションの妙を感じさせる。

もう一服頂きながら、小一時間話しただろうか、その後S氏と連れだって洋食屋さんに行き、ノンビリとオムライスを食す。食後は地下鉄で途中迄ご一緒し、再会を約してS氏とは別れたのだが、驚くべきはオムライスを食べ、デザートとコーヒー迄頂き、地下鉄に乗っても尚、自分がS氏と茶室に居る様な気がしていた事なのである!

これは実に、S氏の卓越した茶人としての、極めてマジカルな面なのであるが、一年の終わりに相応しい、そして非常に嬉しい、手立ての無い「年の瀬」であった。

今年も残り、後10日弱である。