「何故、この世に『光』は存在するのか?」。

この問いの答えを知りたい者、また「ノルウェイの森」に物足りない者は、この作品を観るが良い。

この映画は、「極端」かも知れないが、これっぽっちの甘えも無く、そして浅薄な思想の自己満足的な押し付けも無い事…云い換えれば、小難しい(と感じさせる)「コンテクスト」等は存在せず、唯々極限迄研ぎ澄まされた、社会的且つ思想的、映画的な強い「メッセージ」が有るだけなのである。

劇中に登場する人物は、パティ・スミス以外は殆どが無名俳優であるが、例えば、チャップリンやキャパ、ヒットラー等の顔も垣間観る事が出来る。しかしこの作品を此処で「語る」事は、どう考えても筆者には不可能であり、また余りにも無意味だと思うので、以下に掲げた、劇中ナレーションや登場人物に拠って語られるダイアローグの、「極く一部」を参照されたい。

「私は幸福なヨーロッパを再び見る事なく、死にたくない。『ロシア』と『幸福』と云う二つの言葉が、剣帯の二つのプレートの様にくっつくのを見る事なく死にたくない。」

「精神は物質から知覚を借りて、それを糧とし、自由を刻印した運動という形で、それを物質に返すのである。」

「我々はお互いを知らない。この半世紀、至る所で戦争だ。戦争を鏡の様にして互いを見る。時間稼ぎをする。思考するには勇気が要る。隣人を愛せだと?馬鹿らしい。自分を十分に愛して、隣人を苦しめない様にすべきだ。それが今は不可能…法に従うか、人を裏切るか、どちらかだ。」

「如何なる権力も要らない。私が望んでいるのは、社会であって、国家ではない。国家の夢は、一人で居る事、個人の夢は二人で居る事。」

「イサクは父親に尋ねた。火も短刀も見えますが、子羊が見当たりません。アブラハムは答えた。神は燔祭(ホロコースト)の子羊を見る術を心得ているだろう。」

「太陽も死も、決して直視する事は出来ない。」

「一般的に、二声の為の作曲が上手く行くのは、不協和音が共通の音によって予告される時だけである。」
「人はいつも、比較できるものしか比較できないといいます。しかし実際には、比較不可能なもの、比較されざるものだけを、比較出来るのです。」

ギリシャ悲劇の主人公は、不可能な宣告をする代わりに、死を賭して無言の身体を晒す。」

「自由は高くつく。しかし、自由は金や血で買われるものでは無く、卑劣さ、売春、裏切りによって買われるものである。」

「法が正しくないときには、正義が法に優る。」

嘗て高校生の時代に、スイス金融ブルジョアの息子であるこの映画作家に因って、映画芸術の真髄の一端を知り、大学時代には、この作家を敬愛する蓮實重彦先生の授業に拠って、少しだけこの作家に近付く事が出来た気がするのだが、この類い稀なる作家への道程は、未だ遠い…。

その作家の名は、ジャン・リュック・ゴダール、仕事の都合で今年の「ニューヨーク・フィルム・フェスティバル」でのプレミアに行く事が叶わなかった、新作「Film Socialisme(邦題:ゴダール・ソシアリスム)」を観た。

最初の問いの答えはたった一つ、「それは、この世に『闇』が有るから」である。