「喪失」と「補足」。

今年も半分が終わって仕舞ったにも関わらず、忙し過ぎて、このダイアリーも中々更新出来ない…で、先ずは参院選に就いて。

今こそ真剣に自公を倒さねばならないのは必然だが、どうせ奴等が勝つのでは無いか、との諦めも有る。然し国民は、アベノミクスの失敗に代表される様な「過ち」を決して認めず、ガリガリ君を経費で買う様な都知事並みにセコい宰相を早急にクビに追い込む投票を行わねば、EU離脱を決めた英国民以上の後悔をする事に為るだろう。

そして思うに、今回から18歳から投票出来る様に為った事を考えると、ミュージシャンやアーティスト、タレントに拠る政治発言が、もっと聞こえて来ても良いのでは無いか?と強く思う。

何故か日本では、こう云った連中が政治を語る事を暗黙の内に禁じて居る気がして為らないが、俳優だろうがミュージシャンだろうが、日本国国民である以上「自分が生きて居る国」の在り方について発言をする事は、これからこの国で何十年も生きて行かねば為らない若者達の為にも、彼等の「憧れ」としての責任が有る気がするのだが…。

一方都知事選も同様で、志の有るミュージシャンかアーティストか誰かが立候補しないだろうか、と夢想する。僕が日本に行った時に偶に耳にする、ふやけた、甘っちょろくて吐きそうに為る言葉を並べた歌を歌いながら、ダブル不倫していたり、教祖の息子だったりする人気歌手ばかりでは、日本のミュージシャンの世界での活躍を期待出来る訳も無いし、況してやオリンピックの開会式イヴェントのオープニング・アクトを任せられる者等、居る筈もない。

その意味で嘗ての青島幸男の様に、「オリンピックなんか、止めちまえ!」位の公約をする候補者が出て来て欲しい…音楽や芸術こそ、政治が持ち込まれて全く構わないモノも無いのだから。

さて今日の本題…最近日本人作家をフィーチャーした、2つの展覧会に行って来た。

先ずは、アッパー・イースト・サイドのTaka Ishii Galleryで開催中の展覧会「Koji Enokura」…この展覧会では、榎倉康二晩年のキャンバス作品やドローイング大作、或いはユニーク・フォトが並ぶ。

榎倉康二は、海外アート・マーケットに於いて「具体」に続く戦後日本美術のブームと為った、「もの派」のアーティストとして此の所海外でもかなり認知され始めた作家の1人だが、その写真作品にもファンが多い。

初期作品は既にかなり高額に為って来て居るので、今回のニューヨークでの展示作品中最も高い作品は15〜20万ドル位では無いかと思うが、作品のチョイスが良いので、作家の才能を感じる事が出来る良い展覧と為って居る。

もう1つはと云うと、久し振りのチェルシーで危うく見逃しそうに為ったAlbertz Bendaで開催中の展覧会「Motohiko Odani: Depth of the Body」…そして其処で観た大作「Terminal Impact (feauturing Mari Katayama's "tools")」に、僕は色々と考えさせられた。

小谷に拠ってインストールされた、この三連スクリーンで成る「ヴィディオ・スカルプチャー」は、両足を切断し、左手も2本指のアーティスト、片山真理がフィーチャーされる。片山の作品は今年の「六本木クロッシング」でも観て居るが、アートとしてもそうだが、何しろ彼女自身の身体が持つインパクトが物凄く、そのアートの強暴性とセクシーさに驚愕したのも記憶に新しい。

そしてこの3面スクリーンに映し出される、義肢を付けて歩く片山の肉体に観られる「喪失」と「補足」の暗喩は、タイトルの「Terminal Impact」が歩行時に於ける「義肢」と接合部の衝撃を示す様に、歴史上の彫刻に於けるそれを代弁する。

さて「義肢」と云えば、思い出すのは作家平野啓一郎の著作「かたちだけの愛」だが(拙ダイアリー:「雪の日には、ラヴェルを聴きながら」参照)、この純愛ストーリーにも「Terminal Impact」にも、そしてアーティスト片山真理自身にも僕が強く感じたのが、焼物に云う処の「呼び継ぎ」で有った。

心の「呼び継ぎ」に関しては、映画「ずっとあなたを愛してる」に関して綴った僕のダイアリー、「『再生』、或いは『呼び継ぎ』の心」を参照して頂きたいが、それは身体に於いても然り、と云う事が、この作品を観ると良く解る。

片山が喪った両脚は、絵やデザインが施された義肢に拠って代替され、その義肢に因って片山の身長は伸び、ハイヒールも履く事が可能と為る。そして確かに歩行が可能には為るが、当然健常者の歩行とは異なるし、義肢のサイズや履く靴に因る用途、デザインに拠っても義肢を付ける側の気持ちが大いに変わるで有ろうからだ。

自分の何かを「喪失」し、「補足」し、補足された物を「元来の自分」とは別の物として「再生」する…人間が人生に於いて、この行為を実践し続ける意義を改めて考えさせられた展覧会で有った。

そして僕は今、再びJFK空港のラウンジ…再び日本への短期出張へと向かう。