「パリジェンヌ」と「京女」に就いての、ベッド上での考察。

3日の日にニューヨークに戻って来た。

最低気温はマイナス2-3度、雪も大分消えていて思ったより寒くなく、この頃のニューヨークは誠に清清しい。自宅到着後から今迄、相変わらずの酷い時差ボケ…そして今日から大雪の予報。そんな折、インターネットのニュースで五代目中村富十郎の死を知った。

天王寺屋と聞いて思い出すのは、歌舞伎座での「浮世又平」や「弁慶」役等だが、実は個人的にはこの役者の最も印象に残っている役は、歌舞伎座の舞台の上では無く、篠田正浩監督作品「写楽」の中での「市川團十郎」役なのである。そしてこの映画中で、富十郎團十郎に扮した上で「暫」を演じているのだが、これが中々に素晴しい。

筆者に取っては「江戸歌舞伎とは、こうであったか」と、実写に拠る「動き」に拠って知ったのも(勿論浮世絵では知っていたが)、この今から15年前に制作された「写楽」と云う映画が初めてで、狭い舞台、蝋燭による照明、そして何よりも富十郎に拠る「暫」の荒事の演技が非常に印象的だったのである。今では、この様な「江戸っぽい」演技が出来る俳優も少なくなったと思う…心より天王寺屋のご冥福をお祈りしたい。

それとは全く関係ないが、もう一人、此方で今話題沸騰中なのが「The man who has a golden voice」である。

この「007 黄金銃を持つ男」のパロディの様な名を持つ中年黒人ホームレス男性は、ここ数日で一躍全米メディアの寵児となり、昨日の朝はNBCの「TODAY」に生出演する迄となった。この男性は、日々信号の所で「私は神から授けられた、素晴らしい声を持っている。

「仕事を下さい」と書いたダンボール紙を持って立ち、止まった車中の人々にその「美声」を聞かせてアピールをしていたが、或る日テレビ局のカメラマンが通り掛かり、彼を撮影したのが「運」の始まり…早速地元プロ野球チームのアナウンサーとして雇われたそうだ。しかし聞いてみると、何しろ彼の声は素晴らしい!話に拠ると、彼は以前ニューヨークでDJをしていたのだが、ドラッグと酒に溺れ、離婚し家族離散、ホームレスに身を窶したのだと云う。

この話で何が素晴らしいかと云えば、「チャンスを与える」アメリカの懐の広さであろう。声の良い人等他にも居るだろうし、何も元ヤク中の黒人ホームレスを雇わなくても良いと思うが、また単に「話題性」を狙ったと云ってしまえばそれ迄だが、しかし確実にアメリカ人は「アメリカン・ドリーム」、つまり「恵まれない人が、一夜にしてその才能を持ってしてスターになる」と云う夢を持っており、それが例え「他人に起こる」としても喜んで応援しようと云う気質が、未だ有ると云う事を証明している…単純に良い話だと思う。

閑話休題。さて帰米後出社初日は、会社でオニの様な書類整理やグリーティング・カードの整理と早速の3月オークションの為のマーケティング・ミーティング等で忙殺される…そして有ろう事か、昨日の朝引き出しに入った財布等を取り出して腰を伸ばした途端、軽い「ギックリ腰」をしてしまった!なので、オフィスにも行けない筆者は、ベッドで寝たきりとなり本を読みながら、哲学的な「或る事」を考えていたのだが、それはこう云う事だ。

話は数日遡る。日本からの成田発ANA10便では、残念ながら碌な映画をやっておらず、仕方が無いので新しい「ウォール街」を観たのだがこれまた酷い映画で、「ソーシャル・ネットワーク」も見始めてから直ぐ眠くなりダウン、最終的に唯一観て良かったのは、フランス人ファッション・デザイナー、ソニア・リキエルの「40周年記念ファッション・ショー」の前日を取材したドキュメンタリー、「Sonia Rykiel:Le Jour d'avant」であった。

しかし、実はこのソニア・リキエルも今日のテーマでは無く、では何かと云うと、このヴィデオを観ている最中に、此処何年もずっと気に為っていた或るテーマを再び思い出したのだった…それは「パリ」と「京都」の女性に就いての事である。

此処に告白するが、筆者はフランス人の女性、特に「パリジェンヌ」が大好きである。先ず非常にフェミニンで、ファッションも大げさで無い上に非常に気を使っていて、センスが宜しい。都会的である。また、あの「触れなば逃げん」と云った様な所も堪らない…自分で誘っておいて、いざと為るとスッと体をかわしてしまう様な所が有る。

そして何よりも情熱的で奔放である。嘘だと思うなら、クリスティーズのパリ・オフィスに行ってみるが良い!男性の貴方は2分と持たず、女性社員の誰かと恋に落ちる事だろう(因みにこの孫一、ロンドン研修時代にはフランス人女性と付き合っていた。勿論後日簡単に振られたが…涙)!

そして再び此処に告白するならば、筆者は「京女」も大好きである。

こちらも負けず劣らずフェミニンで気が強く、素肌美人が多い。また京女は、年を取っても美しく色気が有る。そしてその理由は、長年「女性」として非常に気を使って生活して来て居るからで、それは美容や服装(和服)にも当然顕れる。京女、特に祇園の女性等は当然男に媚びるのが仕事な訳だが、その実結構「冷たい」所が有る…嘗て18世紀の随筆「翁草(おきなぐさ)」に、「海内(かいだい:日本の事)京ほど薄情なる所はなけれ共、責ても人の対応、うはべのうつくしきをこそ賞せしに、夫もやみて、今の如きは皇都とは云がたし」と迄云われた一端が垣間見える。しかしそれでも京女とは、古いタイプの様で何時も新しい感覚を合わせ持つ、セクシーな魅力満点な女性なのである。

此処までパリジェンヌと京女を褒めると、早速異論も出そうだが、この両者に共通性を感じないだろうか?

筆者が思うに、この「パリジェンヌ」と「京女」の類似性は、この女性達が生まれ住み働く「街」にこそ、その女性の「なり」の根源が有るのでは無いか。何を隠そう、パリも京都も筆者が世界で最も好きな「街」で有り、その理由は、単純に双方とも街並みが美しく、長い文化的土壌が有って、女性が綺麗、そして何よりも料理が美味いからなのだが、住んでいる人達のプライドが高いが故に「訪れたい」が、余り「住みたいとは思わない」、愛憎半ばする街である事も共通する。こんなに文化的にリッチな街で生まれ育ち、働いていると女性達(勿論男性も!)が「いけず」に為ってしまうのも、或る意味仕方が無いのかもしれない。

そしてもう一つ、パリジェンヌと京女が大好きだと云う最大の理由は、筆者が「東男」だと云うことだが、それには説明は要らないだろう…「東男」は「いけず」好きなのである(笑)。こんな無意味な、しかし哲学的な事を考えながら、そして京女ならぬ「萩女」の世話に為りながら、動けずベッドに横たわる孫一なのであった…。

哲学はいつもベッドから生まれる(笑)。