「猿楽」と「妄執」再見@観世能楽堂。

梅雨は明けてしまったのか…?

そんな思いと夏の水不足を心配しながら、今回の日本滞在の最終日は、筆者の母親や同志K社長ら総勢6人で、松濤の観世能楽堂へ「第44回正門別会」を観に。

知人友人も数多出演するこの日の会は、謂わば家元系能楽師のオールスター・キャストに拠る演能だったのだが、その中でも注目はお能二番、観世宗家に拠る「安宅」、そしてウチの稽古舞台を借りて貰っている若手イケメン能楽師、坂口貴信君に拠る「道成寺」の「披き」だ(「道成寺」は、家元の許可が無いと舞う事が出来ない)!

大賑わいの観世能楽堂のロビーに着き、坂口君の妹のMさんやご両親に御祝いを述べ席に着くと、京都でお会いした事の有る林宗一郎師の力強い「竹生島」で始まった仕舞四番は、此方はクサマヨイの同級生清水義也師に拠る迫力満点の「殺生石」でアッと云う間に終わり、番組は愈々宗家がシテを勤める「安宅」と為った。

今回の「安宅」には「勧進帳」「延年之舞」「貝立貝付」の3つの小書が付いて居たが、「勧進帳」はシテの独吟に拠る勧進帳の読み上げ、「貝立」は「延年之舞」に付く狂言方の小書で、法螺貝を吹く仕草。そして「延年之舞」は、元来法会の余興だった舞を取り入れた物…観世流では延暦寺の型を採ったと云われるが、山伏の修行の岩飛びを真似たと思われる、掛け声と共に飛び上がる等の変わった型の、特殊な笛の演奏で舞う男舞で有る。

「安宅」は、役者・囃子方を入れると20人以上が狭い舞台に犇く大曲だが、観世小次郎信光に拠ると思われる良く出来た舞台構成と演出は、人情を売りにする歌舞伎の「勧進帳」とは異なり、生死を賭けた駆け引きの緊迫感溢れる物で、この日の舞台も宗家の若々しい舞と見事な「ジャンプ」が、その緊張感に力強さを与えて居た。

休憩時間のお弁当を食べ終わると、クサマヨイの師関根祥六師に拠る「江口(キリ)」等、四番の仕舞が有ったが、祥六師のお仕舞が終わり、師を楽屋に訪ねてご挨拶を済ませて席に戻ろうとしたら、談山能以来の宗家から呼ばれ、ご挨拶(拙ダイアリー:「多武峰と『談山能』@談山神社」参照)。その後もMさんに紹介された林望先生と川瀬巴水の話等をしたりして居る内に時は過ぎ、愈々貴信君の「道成寺」だ。

前にも此処に記したが、開演前の「道成寺」の緊張感は特別で有る(拙ダイアリー:「『ジングル・ドージョージ・ベル』、或いは『和の聖誕祭』」参照)。

「お調べ」が聞こえ、狂言方が鐘を運び、「鐘後見」に拠って鐘が吊るされている間の、ざわめきと静けさはこの曲でしか味わえない。そして、陰鬱な調子で始まる「道成寺」は、白拍子の登場に因り徐々に怪しさを増して行くのだが、貴信君の抑えた白拍子は素晴らしく、これ又かなり気合の入った大倉源次郎師の鼓との「乱拍子」も、中々で有った!

唯一注文を付けさせて貰えば、「蛇」に為った後が一寸強く男らし過ぎて、「化物に為ったとは云え、未だ執着の強い『女』で有る」と云う感じをもう少し観たかったか…が、烏帽子をはたき落とす際に力が入り過ぎ、危うく舞台下迄飛んで行きそうに為った事や、鐘入りの際のジャンプの高さ等も、流石若い能楽師の「道成寺」らしくて好ましく、全体的にも纏まって居た様に思う。

然し、この日の「安宅」と「道成寺」を観ると、両曲のシテの運動量は半端無く、その上曲中シテがあれだけ飛び跳ねるのを観ると、能の起源の一が矢張り「猿楽」だったと云う事を思い出させられる。

序でに「道成寺」には、先日の食事会(拙ダイアリー:「愛溢れる週末と『ラヴ・マジック』」参照)で学んだ「『妄執』ラブ・マジック」をも思い出させられ(笑)、そして何より若手イケメン能楽師、坂口貴信君の将来を益々期待したく為った、「日本最後の一日」でした!

そんな筆者は今成田のラウンジ…今からひと月振りのニューヨークに戻る。


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