「ノルウェイの卵」。

また銃の乱射事件が、アリゾナの政治集会で起きた。

筆者の知る範囲では、現時点で幼女と裁判官を含む6人が死亡し民主党議員を含む13人が負傷、議員は頭を撃たれて重傷である。犯人は22歳の男(もう1人容疑者が居る)、事件の背景には政治的背景が有るらしいが、詳しくは判らない…恐ろしい事件である。

さて一昨晩は、腰も大分良くなったので、リハビリも兼ねて友人のC&Rのカップル、そしてCのご両親とアッパー・イーストサイドの「R」でディナーをしたのだが、食事中に当然この事件の話に為った。

全米長寿犯罪ドラマ番組のエクゼクティヴ・プロデューサーであるRに、「アメリカと云う国はこの21世紀に為っても、19世紀的事件が良く起きるんだね。」と云うと、「『西部劇』なんだよ、未だに。」と溜息を吐いた。これは或る意味非常に示唆的で、「銃規制法」が米国で決して成立しない事と、深く関わっているのである。

西部劇のガンマン達が、何故皆銃を持っていると思いますか?…答えは単純、「自分の身は自分で守る為」である。この「歴史」が、アメリカが移民を取り込む様に為ってからより顕著になったのは、云う迄も無いだろうが、この辺が日本人には理解し辛い。この「銃規制法」成立の難しさは、実は日本に於ける「自殺」を減少させる難しさ(昨年は減少したらしいが、日本では未だに「1時間に3.8人」が自殺しているとの事)と、何処か共通する物が有ると思うのだ。日本に「自刃」と云う「歴史」が有るが故に…。

さて、一昨日の「寝たきり男の濫読」の続きである。


細川護煕著「内訟録−細川護煕総理大臣日記」(日本経済新聞出版社

文字通り、「殿」こと細川元首相の在任当時(1993年7月31日−1994年4月29日)の在任中日記である。先ず驚くのは、細川政権の誕生が、もう既に18年前で有ると云う事実である。丁度この頃、筆者も丁度ロンドン・ニューヨークでの研修を終え日本に帰って来た所で、この政界再編に大喝采を送ったものだった。

細川氏の人となりは、祖父の親友で筆者も子供時代から多大なる影響を受けた、この日記にも度々登場するY先生から聞き及んでいたのだが、この日記を読むと、元首相が如何に禅や儒教思想に影響された、今の政界では考えられない位のインテリで、決断力の有る私心の無い政治家で有ったかと見受けられる…これはご尊父細川護立氏のご教育の賜物では無いだろうか!

そしてその引き際の見事さは、先祖である所の細川ガラシャ辞世の句、「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」を政界引退の際に掲げた様に、「一つの事を成し遂げる為」だけに生き権力に固執しないと云う「潔さ」の顕れと思った。

民主党政権が誕生し、しかし揺らぐ今、この「日記」を出版した「殿」の意図は色々と想像出来るが、もしかしたら今の日本に本当に必要なのは、「小沢−細川」ラインなのかも知れない。

村上隆著「芸術闘争論」(幻冬舎

端的な読後感想としては、先ず今話題のこの本は、正確に云うと「現在の世界現代美術市場に於ける闘争論」で有る、と云う事である。その意味で村上氏が著作で述べている事は概ね正しいし、その変革に対する心意気も大変素晴しい。それは、氏がご自分の事を「ゴルフで云えば世界で10−20位のランクで、珠には首位を狙えるポジションに居るアーティスト」と規定されているその根拠が、明確にされていないので良く判らない部分が有るにしても、著者が世界の「現代美術マーケット」で評価されている数少ない日本人の一人で有る事は間違い無いので、強い説得力を以って読者に迫る。

が、青臭い意見を云わせて貰うなら、「売れるアート」を創るのにはマーケット・ルールを知り、テクニックを学び、「文脈」を付ける事に拠って或る程度可能なのかも知れないが、「僕はこれをどうしても創らねば為らぬ」「私はこれをどうしても書かねば為らぬ」と云った強いパッションの無い作品が、100年後200年後に世界の一流美術館に並ぶかどうかに就いては少々疑問が有る。

これは「死者(若しくは『過去』)のアート」、つまり古美術をオークションで扱っている者の日々の思いで有ると共に、結局「美術館=歴史」に残る作品と云うのは、作者の祈りや強烈な制作意思等の「強い思い」が作品に残り、何百年・何千年経っても観る者、触れる者にそれが伝わるのでは無いかと思うからである。現代美術は、アッと云う間に「現代」美術で無くなるのだし、マーケット・トレンドも何時どの様に変わるか判らない…「名作」には普遍性が必要だと思う。

しかし、この本や読売新聞での文化庁長官との対談を読むと、村上氏こそ日本の芸術教育を根本から変える力を持つ、「芸大」のカリスマ学長として最も相応しい人物だと思うのだが、どうだろうか?

小堀宗慶著「小堀遠州の美を訪ねて」(集英社

遠州茶道宗家十二世が、祖である小堀遠州所縁の地を訪ね、その江戸期の武将・建築家・作庭家・書家、そして茶人としての遠州が残した「美」を伝える著作である。

この本を読むと、「綺麗さび」の茶も然る事ながら、特に遠州の「建築家・作庭家」としての業績が俯瞰出来て非常に勉強に為る。その遺構(若しくは「伝」遺構)は、「名古屋城天守閣」や「大阪城天守閣」等の「城」、大徳寺孤篷庵「近江八景の庭」や金地院「鶴亀の庭」、また「仙洞御所」や「桂離宮」等の「庭」、「忘筌」「密庵」「八窓席」等の「茶室」等多岐に渡り、本書の中ではその才能を十二分に確認出来る。また「洞水門」(水琴窟)やサイフォン原理を使った手水鉢、月光を取り入れて点前を照らす「突上窓」等の新しいアイディア、そして所謂「借景」の活用等も、遠州が如何にアイディア・マンで有ったかを証明するものだろう。

小堀遠州、その人に近付ける一冊で有った。


そして昨日日曜は、妻とウエスト・ヴィレッジにある「T」で美味いブランチを頂く。「T」に行く迄は「エッグ・ベネディクト」を食べようと心に誓っていたのだが、メニューを見て「ノルウェイの卵(Egg Norwegian)」に変えた。両料理とも略同じレシピなのだが、エッグ・ベネディクトの「ベーコン」を「サーモン」に替えたのが、この「ノルウェイの卵」である。そしてデザートには此処「T」の名物、「Mixed Fruits Tart」を頂く…もう最高であった!

レシピをほんの少し変えるだけで、料理には「幅」が出る。本を読むと云う行為は、筆者の人生に取って正にそう云う事なのだ…「森」も良いけど「卵」もね、と云う事である(笑)。