美人の定義。

カタログが終わって、一安心…が、来週はアメリカ国内出張と、週末からは再び日本出張である。はぁ…(嘆)。そして3月上旬に戻って来ると、何だかんだで18日から下見会が始まり、23日がオークション…全く気が休まらん。

昨晩は、偶に行くチェルシーのタパス・バー「T」で、妻と軽く飲み食いした後、最近近所に越して来た建築家Sを呼び出し、食事のシメと飲みの為に場所を「B」に移す。「B」に行くと、先ずカウンターに大手ギャラリー「P」のTさんがご主人と、そして席に着くと、今度は斜め前の席にドナルド・キーン・センターのA氏が、笙奏者の方と…そして食事が終わる頃には、常連のN氏も登場、「B」は知り合いの坩堝と化した。

食事中は、Sの公私共の近況(「情熱大陸」!)を皆で聞き、頷いたり首を傾げたり…しかし良いなぁ、若いって事は(笑)…でも人生は長い様で短く、短い様で長い。悩んだ時や人生の目安には、最近見つけたこのグラフをお試し下さい(笑)→(http://uremon.com/life_graph/)。筆者の場合、本名でも桂屋孫一でやっても、結構当っていると思うのだが。

さて、今朝会社でノンビリ仕事をしていたら、A姫からメールが来た。「By the way」と云うタイトルだったので、何かなと思ったら、我等が優ちゃんについての「どうよ、これ?」メールで有ったのだが、何の事かと思うと、それは優ちゃんの直近の髪型の事で、優ちゃんは、妻夫木聡と共演する野田秀樹の舞台での「嘘つき女」役用に、思わず「うそっ」と思わず云う程に(笑)その「蒼い」黒髪をバッサリと切り、それだけで無く、何と「毬栗(イガグリ)頭」にしてしまったのだ!しかし…しかし、それでも筆者の優ちゃんへの想いは変わらない!とA姫に云ったら、「それでこそ、本物のファン…でも、あの髪型で少しファンが減るかもね」との返事。その返事に此方としては、ファンが減る分「チャンス到来」(何のチャンスだ?:笑)なのであるから、喜ばねば!

そこで今日の本題。異論も多々有るだろうが、優ちゃんと云えば、「美人」である(まるで、荒瀬の「がぶり寄り」位強引な展開…若い人には、何の事か判らんだろうが:笑)。そして世の中には、色々な意味で「美人」が嫌いだと云う男も居るだろうが、大概の男は「美人」好きだろう。しかし「美人」と雖も千差万別、個人の趣味然り、メイキャップの具合然り、「バランス」重視か「顔」重視か、はたまた…そう「美人」と云う存在は、余りにも多くの「顔」を持つ、十一面観音的魔物なのである。

そして筆者に取って「美人」と云えば、蒼井優、もとい、プリンス妻、もそうだが(笑)、アートを生業にするワタクシに取っては、何と云っても「春信」なのである。

恐らく日本美術関係者以外には、余り馴染みが無いと思うが、この「春信」とは「多色摺木版画」、通称「錦絵」を日本美術史上初めて世に出したアーティストと云われている、浮世絵師「鈴木春信」の事。享保年間から明和年間まで生き、絵暦の制作や「狂歌連」との交流、司馬江漢の師匠としても知られる絵師で、来る3月の日本美術オークションで売却する、素晴しい「パレフスキー・浮世絵版画コレクション」中にも、林忠正やルイ・ゴンス、アンリ・ヴェヴェール等の輝かしい来歴を持った、状態も美しい9枚の春信作品が見つけられる。

では、現代の日本人が「美人画」と聞いて思い出す「作家」は、一体誰だろうか…喜多川歌麿伊東深水上村松園、はたまた江口寿史(単なる個人的趣味)だろうか?前にも記したが「美人」とは、その人に拠って千差万別…しかし、もう1つ重大な「美人」の決定要素が有って、それは云う迄も無く「時代性」であり、近現代ならばマルベル堂のブロマイド、そして過去のもっと長いスパンでならば、300年間に及ぶ「浮世絵美人画」の変遷を見れば、一目瞭然なのである。

「浮世絵美人画」の歴史は、所謂「寛文美人画」から始まったと云われていて、その後江戸では菱川師宣、上方では西川祐信を筆頭に、懐月堂安度の一派や鳥居清長、そして勝川春章や「美人画の代名詞」喜多川歌麿鳥文斎栄之葛飾北斎の「宗理美人」、幕末の菊川英山や渓斎英泉に至る迄、各絵師の美人画作品を一堂に並べてみれば、「美人画」と一言で云っても「これだけ違うか!」と思う程、「美人」の幅は広い。

師宣時代の「美人」のトレンド、「お色気ムンムン・丸ぽっちゃり顔」型は、春信時代になると、正直色気は余り感じない「かよわく細い、吹けば飛ぶ様な」型、或いは「ボーイッシュ・ロリコン」型と為り、清長時代には「八頭身・モデル体型スラリ」型、春章・歌麿時代に為ると「本格・大人の女」型、そして幕末・徳川爛熟期の最後に主流と為る「美人」は、英泉等の美人画に観られる様に「四頭身・退廃的色気満点」型と為るのだ。

そんな中、この春信の描く「美人」は、その小顔にスラッとした体型、柳の様な細腰、ちょっと優ちゃんを思わせる「ボーイッシュ」な所が大きな魅力なのだが(因みに某著名古美術商氏も、浮世絵美人画の中では春信が一番好きだと嘗て云っていたが、同じ理由なのだろうか?)、これではロリコンと呼ばれても、反論出来無いかも知れない。

「美人の定義」は、時代と共に変遷する。が、21世紀の今、「モナリザ」を観て「あぁ、美人だなぁ」と思う人がどれ程居るか判らないし、実際殆ど居ないのでは無いかとも思うが、どうだろう。それはつまり、一般的「美人の定義」とは、時代のトレンドと共に変化するとしても、古美術品の美と同様、その瞬間瞬間の「美の発見」に尽きる訳で、今日此処迄このダイアリーを長々と書いて来て、結局何が云いたいかと云えば、髪をイガグリ頭にした優ちゃんは、それでも「美人」だと云う事なのだ(笑)。

無理やり何とか纏めようとしたが、全く纏らないので、今日はこの辺で。