鎌倉初期の「三役揃い踏み」。

打って変わって冷たい雨の今朝だが、「悲しい程お天気」(若いヤツには、判らんだろうなぁ…)だった昨日日曜は、死ぬ思いで朝7時に起き、電車を乗り継いで、神奈川県某所へ…。

それは、もしかしたら、もう二度と観る事が出来無いかも知れない、或る重要な「三役揃い踏み」を観る為であった。

と云っても、それは八百長相撲では無く、もっと神々しい(仏々しい?)、「運慶作木造大日如来坐像」三体の「揃い踏み」の事だ。
運慶に拠るその三体の「木造大日如来坐像」とは、奈良は円成寺蔵の国宝、真如苑蔵の重文、そして栃木は光得寺蔵の厨子付の重文。そして今回、この余りに重要な三体を一度に観る事を可能にした奇跡的な展覧会とは、神奈川県立金沢文庫で開催されている「特別展 運慶:中世密教鎌倉幕府」の事である。

下見会終了直後の疲労困憊の中、前述した様に朝7時に起きたのには勿論理由が有って、それはこの展覧会が余りの混雑の為に、館側に拠る入場制限が行われているとの前情報が有ったからなのだが、9時10分過ぎに館に着き入場した時には、成る程、既にかなりの人で混雑していた…そう、噂は本当だったのだ!

人を掻き分けて早速2階に上がり、先ずはサイズの最も大きい、円成寺の国宝を拝見する。

この円成寺多宝塔に安置されている国宝大日如来像は、1176年、未だ若かったと思われる運慶が、11ヶ月と云う当時としては異例の長さの制作期間を費やして制作した、運慶彫刻の代表作である。前回この像を観たのは、恐らく20年以上前なので記憶もあやふやだったのだが、昨日久々にこのお像に再会すると、その大きさと逞しさに、暫し圧倒されたのだった。

所々箔が残る顔と体躯、キリッとした玉眼、非常に高く結われた髷やその毛彫りの細かさ等を見ても、当に三役の「大関」に相応しい(本来なら、当然「横綱」であるが)!

そして次に観覧者の眼に入るのが、光得寺蔵の厨子入りの大日如来像…此方は胎内臓物(五輪塔形角柱と、蓮台に載った水晶珠)の存在が確認されている、重要文化財である。

像高は小さく玉眼も使われず、臍に仏輪が彫られているのが特徴的であるが、このお像の重要性は、その獅子の台座、光背、厨子内の小仏群像彫刻と共に有るのだろう。重要な作品では有ると思うが、美術品的魅力からすると、三役で云えば「小結」だろうか。

そして三体目に展覧されていたのが、昨年重要文化財に指定された、「思い出深き」真如苑蔵の大日如来像である。

このお像に関する事は、到底此処には書き切れない。3年前の3月、この作品が筆者のオークションに出品され、1430万ドルと云う日本美術品オークション史上最高価格で売却された事を覚えておられる方は多いだろうが、剰りに面白くもスリリングな逸話が有り過ぎて、何時の日か本に出来無いかと、真剣に思っている位である。

余談はさて措き、久し振りに再会したこのお像、いや、本当に素晴らしい!「親バカ」(変な云い方だが)の様に聞こえるかも知れないが、このお像には円成寺や光得寺のお像の様な「厳しさ」は余り感じられ無いかも知れないが、その反面、それらには余り無い、包み込む様な「優しさ」と「豊穣さ」を感じさせるのだ。

丸みを帯びた顔、少し寄り気味の玉眼、そして此れも文句無く素晴らしい毛彫の髪と流線形のボディ、箔の残りも美しい。そして800年以上、何人に拠っても封印を解かれていない胎内には、水晶五輪塔、「心月輪」と呼ばれる蓮台に載った水晶珠と、五輪塔形角柱の存在が、東京文化財研究所X線写真に拠って確認されている。

しかし、こんなに美しくも重要なお像を、1ヶ月間もの間海を渡らせた上、触ったり引っくり返したりした事等、今と為っては「夢のまた夢」…自分は何とラッキーだったのだろう!と、感慨を新たにしたのだった。

そして、この真如苑大日如来像は、今回展示された三体の中で、美術史的には「関脇」かも知れないが、その類い稀な美しさとこの世に出た背景のストーリー性では、円成寺大日如来像と共に、「東西の横綱」と云っても過言では無いと思う。

この展覧会には、これ等大日如来像の他、1216年の年記が発見された、称名寺光明院蔵の大威徳明王像や、浄楽寺蔵の不動明王像と毘沙門天像等の、運慶仏が展示されている。

運慶作木造大日如来坐像の「三役揃い踏み」を観れるのも、後6日間のみ…そして断言するが、この展覧会を見ぬ者に、運慶を語る資格は無い。

語りたければ(笑)、今すぐ金沢文庫へ急げ!