「天罰」の下るべき場所。

ニューヨークで観続ける「NHK」と「NBC」…時差ボケと寝不足、そして原発事故不安で、オークションが近いと云うのに仕事に全く集中出来ない。

先ずはNHK。こんなに一日中「津波映像」を流し続けて、一体何の意味が有るのだろうか?観れば観る程、被災者でなくとも気が滅入るし、被災者の人達に取っては、恐らく「悪夢の再現フィルム」を見せられているが如く感じるのでは無いだろうか…?「もう判ったから」と云う感じが否めない。

そしてNBCの方はと云うと、繰り返し繰り返し福島原発の建屋の爆発シーンを放送し、今後起りうる事故とその結果、対処策の可能性に就いて報道している。此方も観る度に恐怖感や不安感を増加させているのだが、そこからは、アメリカに取って「世界唯一の被爆国である日本ですら推進する『原発』」と云う、長年使ってきたレトリックが使用期限切れになりそうな今、慌てている様子が手に取る様に判るのである。

ここ数日、「日本に於ける原発の存在の是非」に関しての有識者のコメントを見てみると、「今、そう云う事を云わなくても」「皆努力しているんだから」と云う論調のモノが偶に見受けられるが、しかし、これは非常におかしい。何故ならば、原発の危険性に関して、その反対者は何も今云い始めた訳では無く、物凄く長い年月に渡りその危険性に就いて語って来たにも拘らず、政府や推進派が聞く耳を持たなかったと云う事実を忘れてはならない。

東電を含めた彼らに拠ると、今回の災害は「想定外」で「100年に一回有るかどうか」の災害らしいが、「100年に一回」が100年後迄起きないとでも、本気で思っていたのだろうか…。今こそ、この原発の危険性を国民全員で考えるべきで、例えば明日、別の原発の近くで、新たな大地震が起らないと誰が言い切れるのだ、と云う事なのだ。本当に、本当にこれ以上の事故が起きない事を祈るばかりである。

もう一つ、石原慎太郎と云う人は、作家の割に本当に「言葉」を知らない人だと思う。「天罰」と云う物がもし本当に存在するならば、何故東北で質素に暮らす何の罪も無い人々の所に、神があの様な「天罰」を下すのか説明して欲しいし、今一度、もし「天罰」と云う物が本当に存在するならば、我国を石原氏の云う「我欲の国民の国」に長い間掛けて創り上げて来た、張本人である自民党本部か国会議事堂、もしくは国政を放り投げ「大統領」に成るべく都知事に「下り」、都民の税金を使うだけ使い破綻させた某銀行の責任も一切取らず、78歳にして再選を期す誰かさんに下るべきでは無いだろうか。考えれば、自分にこそ「我欲」が有るから、こんな事を平気で口走れるのだろう。世が世なら、「バンッ」と一発である。

そして松沢某と云う元神奈川県知事も、全く以て信じられない輩である。彼に取っては神奈川県より東京都の方が、どうも地方自治体としての「格」が上らしく、神奈川県民と県政を丸投げしての出馬だった筈だが、石原氏が出馬すると云う事と地震が有ったからと云う事で、出馬を取り止めるとの事…笑止千万な男だ。

此処まで書いて来て、余りに虚しくなって来たので、今日は筆を置こうと思う。そして今再び、福島原発の2号機の燃料棒が全露出のニュースが…原発事故に関しては、何も出来ず只祈るしかないが、被災者救援に少しでも協力したい方は、此方をご覧下さい(→http://www.giveone.net/cp/pg/campaign/Campaign005Page.aspx)。

筆を置くと云ったが、最後に一言。

日本と日本人は、ハッキリ云って世界何処ででも尊敬されている。これは外国に住む日本人に取っては、本当に誇らしい事で、ここ数日筆者も、ニューヨークのTVで画面に映しだされる、被災者や救助の人達の姿やマナーを見た数多くの多国籍の外国人から、「貴方の国と国民を、私は本当に尊敬する。頑張って欲しい」と声を掛けられているのだが、被災者達に何も出来ぬ筆者がこんな事を云われるのも、「誰かさん」の云う所の「アイデンティティを失った、『我欲』の民」の御蔭で、その度に何故か涙が出そうになるのだ。そしてこんな光景を「誰かさん」はきっと見ないし、信じないに違いないと思うのである。

我々なら、この危機を絶対に乗り切れる…何故なら我々には、世界に誇る強さと優しさ、誠実さ、技術力、長い歴史と文化の力が有るからだ。そして、世界中の国と人がその事を知っていると云う事を、忘れてはならない。

ガンバレ、ニッポン!頑張れ、日本人!