「team_nakagawa」をフォローせよ。

此処数日、筆者にしては珍しく欝気味で、「こんな大変な時期に、アート等売ってて良いのか…オークション等やってて良いのか!」と自問していた。

しかし良く考えると、「日本美術」を生業にしていると云う事は、日本に「恩返し」をしなければ仁義が立たず、そして「オークションで日本美術を売る」と云う事は、日本美術の価値と存在を通して日本国を世界に知らしめると云う、筆者がこの仕事に就いた根底理由と一致する、謂わば日本宣伝の一環でも有るので、やはりこれしか出来ないし、やるしか無いのだ。

そして今日、静岡震源地震が起きた事を知った。昨日此処で記した予感が、当らなければ良いがと心底思っていたが、ネット新聞に拠ると、未だ「浜岡原発」は通常運転との事。しかし、何と学習能力の無い連中なのだろうか!何はともあれ、早く国内の全原子炉を停止すべきである。本当に、本当に「寝れる獅子」(富士山)を起さなければ良いが…祈るのみである。

東京に居た弟は、昨日岐阜県に在る奥さんの実家に避難した。82と72になる頑固者の両親は避難を拒否、「放射能の前に、癌か何かで死んじゃうよ」との事で、序でに「来月は京都に行くのよ」てな具合で豪気振っているが、しっかりと家の「目張り」はしたらしい(笑)。

さて、或る所で「TEAM NAKAGAWA」がツイッターを始めた事を知った。

この「TEAM NAKAGAWA」とは、東大医学部付属病院放射線科准教授の中川恵一氏をリーダーとする、東大病院放射線治療チームの事で、医師、原子力工学、理論物理、医学物理の専門家が含まれ、今回の原発事故に関しての正しい医学的知識を、ツイッターを通して提供して行くとの事である。

筆者がこの中川先生を知ったのは非常に古く、もう「42年前」と云う事に為る。こう書くと、中川先生(と筆者)がずいぶんな年寄りでは無いかと思われるかも知れないが、先生は今年未だ51歳、「42年前」と云うのは、この出会いが筆者の幼稚園年長組時代に遡るからである。筆者はその頃神田駿河台に住んでおり、東京九段にある「G」と云う小中高カトリック一貫教育男子校の、出来たばかりの幼稚園に歩いて通っていた。

そこで中川先生の弟、S君と同級生になって親同士も仲良くなり、小学校の6年間S君とは同じクラス、そして当時「神童」だった筆者は(笑)、S君とはサッカーや勉強等でも或る意味良いライヴァルで、もう1人某総理大臣の曾孫で、三井物産勤務後「ゴルフ・ダイジェスト・オンライン」を立ち上げたK君と共に、「C組三羽烏」と呼ばれていたのだった(ホントか?:笑)。この頃からこの中川兄弟は「超優秀」、小学校時代からお母さんが「2人とも絶対に東大に入れる!」と云って居た通り、2人共見事東大に現役合格、現在東大病院で兄は放射線科、弟は産婦人科の医師となっているのだ。

高校1年の途中で「落伍者」となり、卒業まで一切勉強為る物をせず、ピアノやディスコに明け暮れた只の「不良」となった筆者は、卒業後も「王道」を行く中川兄弟との縁は薄れた侭だったのだが、或る時その縁が急に復活したのだが、それは7年前の事で有る。

その年、筆者の弟が重篤な病気に罹り、その難しい外科手術をするのに、その道で優秀なる病院と外科医を探した末、結局東大病院に決め、その際中川兄弟に助けを求めたのが再会のきっかけだった。中川先生が放射線科の専門医で有る事から、S君にお兄さんを今一度、久し振りに、そして医師として正式に紹介して貰い、弟の入院、診断、手術、事後治療迄、全部面倒を見て頂いたのだ。

その時の「想い出」と云うのも変だが、忘れられない事が有って、弟の手術当日、手術は結局8時間も掛かった大手術だったのだが、今思い出しても恐ろしいが、その真最中に「震度5」は有ろうかと云う、かなり大きな地震が有ったのだ!

待合室で待ってた我々は、皆飛び上がり動転し、そして建物は揺れ続けた…。非常に微妙な手捌きの必要な手術中だったので、皆顔面蒼白…が、後で執刀医に聞いたら、揺れた瞬間にメスからパッと手を離したとの事で事無きを得た…流石プロである。そして何とか手術は無事終了したのだが、その手術中も、その日もその後も、中川先生兄弟には弟の事を本当に気に掛けて頂き、お陰様で現在、弟は前述の通りピンピンしている。

要は、この「TEAM NAKAGAWA」の中川恵一先生は、弟の命の恩人の1人なのである。非常に優秀且つ信頼に足る、また患者思いの中川先生は、弟に拠ると「放射線」の専門家として震災後TV等に引っ張り凧らしい…この中川先生に拠る専門的且つ信頼性の高いツイッター放射能漏れが心配される今、絶対に有益な筈である。

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