9年7ヶ月20日後の「処刑」。

ニューヨーク時間の3日に為ったので、それは一昨晩の事になる。

今朝5時過ぎに起き、7時の「アムトラック」でワシントンに出張に行く予定で有った為、早く寝なくてはと思っていた矢先に、NBCのニュース速報でオサマ・ビン・ラディンが殺され、その事に就いてオバマがスピーチをする事を知った。そして当然スピーチを聞いた後は、色々な理由で全く寝れなくなってしまった。

予定の10時半から遅れる事1時間以上、午後11時32分にオバマ無人ホワイトハウスの廊下に現れ、スピーチが始まった。その内容は、米海兵隊特殊部隊が先週発見したビン・ラディンを銃撃戦の末殺害、死体を確認確保したとの事、つまりこの国に取っての「Justice has been done」と云う事で有った。

オバマの演説は、それ自体非常に立派で素晴らしく、それはスピーチ原稿もスピーカーもだが、何処かの総理大臣とは雲泥の差と云うか全く別次元の物で、その内容から強く感じたアメリカと日本の政治の最も大きな差は、何事も「徹底的にやるか、やらないか」の差だと云う事で有る。

スピーチ後は、ワシントンではホワイトハウス近辺、此処ニューヨークではタイムズ・スクエアグラウンド・ゼロに人々が続々と集まり、「God bless America」やアメリカ国歌を合唱し、「愛国心の勝利の喜び」に沸き、興奮の余り泣き出す人達の姿も見えた…この辺が当に「アメリカ」である。

しかし、このオバマ会見を観た率直な感想は、筆者が嘗て見た如何なる会見の中でも、実は「最も背筋のゾッとした」物で有ったと云う事だったのだ。

それには幾つかの理由が有るのだが、先ず「人(個人)を殺害した」と云う事を全世界に向けて平然と、そして見方に拠っては誇らしげにオバマが云った事、スピーチの中で最も重要なセンテンスである「Justice has been done」の「Justice(正義)」が、実際には「Execution(処刑)」若しくは「Revenge(復讐)」の意味だと云う事、そしてそれにも況して大きな理由は、ニューヨークに住む我々が再び「報復の報復」に脅えながら、生活しなければならなくなったからである。

「9・11」10周年を前にしてのこの「功績」で、オバマは来年の大統領選の勝利へ一歩大きく踏み出したに違いない。しかし、「ビン・ラディン」と云う物は、生存中から謂わば「亡霊」の様な物で、テロリストと云うよりも「テロの代名詞」で有ったに過ぎす、そしてこの「テロ」は、アメリカが行ってきたイラク戦争フセイン処刑、リビア空爆、そして今回のビン・ラディン処刑と比すれば、国際法規や裁判を無視した「超法規」と云う点で共通するが故に、「報復の報復」「報復の報復の報復」が起きても止める手立ての無い、「終わり無き悪夢」をオバマが産み出してしまったのかも知れない点を、決して忘れてはならないだろう。

今回のこの「正義」と云う名の「処刑」と「報復」の是非は、歴史が判断するだろうが、ニューヨークに住む一個人が今出来る事と云えば、ニューヨークに再びテロが起こらない事、そしてそれは、今と為っては「9・11」の時にそう為らなかったのが「奇跡」としか云い様が無いのだが、例えばハイジャック機がマンハッタンからたった55キロしか離れていない「原発」に突っ込んだりする様な事態が起きない事を、ただただ祈る事だけで有る。