"Searching for Sugar Man."

気が付いたら3月に為って居たが、それに付けても時差ボケが酷い…序でにニューヨークは、寒さがぶり返して辛い。

それでも世間は容赦無く(涙)、昼間は出社早々有力個人コレクター、ディーラーや学者が20日のオークション出品作の下見に次々と来社し、狩野松栄の屏風や白隠等を見せたりし、夜は夜でその時差ボケを治す為に、気力を振り絞って外に出る。

そんな先週木曜の夜は、現代美術家シンゴ・フランシス氏の新作展「Kaleidoscope」のレセプションに出る為に、6番街のLobby Galleryへ。

実は筆者は何故か今迄シンゴ氏とご縁が無く、2000年にニューヨークに来て以来お名前は何度も拝聴して居た物の、何と今回が初対面…シンゴ氏はご存知サム・フランシスの息子さんで、イサム・ノグチを思い出させるハーフ独特の甘い顔立ちの方で、気さくな方で有った。

紫・青・赤・黄の各色を使った氏の作品は、その繊細な色遣いとグラデーションが美しい。この辺、矢張りお父さんの血を感じない訳には行かないが、その中でも今回の筆者のお気に入りは、何と云っても「Orange and White」(2010-11)…白を基調としたこの作品は、今回の作品中でも群を抜いて美しく、一寸欲しく為る逸品でした。

小雪のちらついた土曜日は、疲れた体を癒す為のマッサージ後、ベルリンから来米中のキュレーター渡辺真也君、アーティストの斎木克裕君とミッドタウンの和食屋「S」で食事。

真也君の博覧強記は相変わらずで、我々の話も映画から憂国日本、スピノザから利休、仏教からゾロアスター教柄谷行人からトインビー、小沢一郎からモーゼ迄(笑)、縦横無尽の会話について行くのが大変だが、非常に面白い。

彼のニーチェ、或いは梅原猛的な美学・美術史をベースにした「ユーラシア・文化伝播思想」の研究は、知的クロスオーヴァーの愉しみに溢れているし、こう云った事をを真面目に考えている人を他に知らないので、この侭頑張って是非とも学者に為って貰いたい!

と云う事で、此処からが今日の本題。

天気の良かった昨日日曜日は、午後からヴィレッジでクサマヨイと久々の映画鑑賞…観たのは話題のドキュメンタリー映画、「Searcing for Sugar Man」(邦題:「シュガーマン 奇跡に愛された男」→http://m.youtube.com/#/watch?v=QL5TffdOQ7g&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DQL5TffdOQ7g&gl=JP)!

さて本作は、本年度の「アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞」を受賞したのだが、筆者にはそんな事よりも、この作品を観たかった大きな理由が有った…それはこの物語の主人公、ロドリゲスのアルバムを1970年にレリースした、当時のレコード会社の社長だったCから聞いていた「信じられないストーリー」をこの眼で確かめたかったので有る。

筆者がロドリゲスの事を知ったのは、去年の10月…「Godfather of Black Music」の異名を持つCと、西海岸で会った時の事だ(拙ダイアリー:「『ゴッドファーザー・オブ・ブラック・ミュージック』から学んだ事」参照)。

そして別れ際にCから貰った「Searching for Sugar Man」のCDと、ロドリゲス「再発見」の逸話は筆者の胸に強い印象を残した訳だが、昨日観たこのドキュメンタリー・フィルムは、その感動を更に強い物にしてくれたのだ!

何しろ70年代以降の南アフリカの一般家庭には、ビートルズサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、そしてロドリゲスのレコードが必ず有ったと云う…その意味で彼は、南アでは謂わばプレスリーストーンズ以上のスーパー・スターと為って居たのだが、この作品は長い間拳銃での自殺、若しくはオーバー・ドースで死んだと云う事に為って居た彼が、何人かの「情熱的な探索」に因って遂にデトロイトで探し出され(歌詞からヒントを得たりして、彼の居場所を捜す過程も面白い)、1998年、遂にケープタウンでコンサートを開く迄の経緯が描かれる。

そして本作は、今でも修理工として働くロドリゲス本人と、彼の家族や仕事仲間、昔のプロデューサー(Cも登場する)やライター達のインタビューと当時のフィルムで構成されて居るのだが、何しろ70歳を超えたロドリゲス本人が、今でも相当格好良い事に先ずはビックリ。

が、より驚くと共に思わず涙が零れてしまうのは、長身の彼がデトロイトの貧民街の中を、雪の中前のめりで歩く姿と、南アでの「復活」後も何も変わらず、以前と同じ様に質素に生活している姿なのだった。

夢は必ず叶う…。

アメリカン・ドリーム」の常套句だが、インディオの血を引くメキシコ移民の子が、貧しくも遣る瀬無い自分の想いを綴り唄った歌は、その歌詞もボブ・ディランのそれに勝るとも劣らない程に素晴らしいにも関わらず、発売当時アメリカでは完全に無視されてしまった(Cに拠ると、たったの6枚しか売れなかったらしい)。

しかし、ロドリゲスの歌はアパルトヘイト反対活動のアイコンと為り(発禁にも為っている)、本人不在の侭最も偉大なる「サウス・アフリカン・ドリーム」を具現してしまったのだが、これはロドリゲス本人に取っても、当に青天の霹靂だっただろう。

然し1998年のライヴ時に、会場に集まった超満員の南アの観衆に彼が放った最初の言葉が、

"Thanks for keeping me alive ! "

で有った事を考えると、彼はアーティストとして本望を遂げたと云えるだろう…何故なら、デビュー以来の長い間、ロドリゲスには功も名も金も必要無かっただろうが、彼の音楽を聴きたいと云う「ファンの声」だけは必要だった筈だからだ。

ロドリゲスは、偉大なる忘れられた詩人で有る…しかし、彼の偉大さは決して「其処」だけでは無い。

この作品は、如何なる分野のアーティストにも観て貰いたい、心温まる、そして今一度自分の胸に手を当てて考えたくなる、素晴らしいドキュメント・フィルムでした!