「珠に傷」@義援茶会。

昨日は、東京美術倶楽部で開催された「東日本大震災義援茶会」に出席。

朝10時半に若宗匠とI社長、そして友人の元女流能楽師のMさんとロビーで待ち合わせし、いざ階上の茶会へ。

今回の茶会は、倶楽部青年会理事長の、畏友雅陶堂瀬津勲氏が中心となり、明確且つ強い意志を以てして実現させた、被災地の仙台に因み、仙台伊達家伝来の名品の数々を集めての茶会で、収益は被災地に寄付される。

さて先ずは、濃茶席…寄付には、伊達政宗の消息「八幡堂」が掛かり、非常に洒落た孔雀羽箒等が飾られる。

本席に入ると、床には伊達家伝来、竺田悟心の重文墨蹟「中厳円月送別の偈」が客を迎え、軸から眼を下に落とすと、其処には利休所持、そして此れも伊達家伝来、重美の名物井戸香炉銘「此の世」、水指は持ち主も素晴らしい(!)南蛮縄簾、茶入も伊達家伝来で、中興名物の古瀬戸小肩衝
茶碗はと云うと、これまた一段と素晴らしく、此方も伊達家伝来、鈍翁旧蔵のヨダレ物、小井戸(青井戸)の銘「柳川」…そして茶杓蒲生氏郷と云う、もう「参りました」の取り合わせ、流石の一言で有った!

皆興奮覚めやらぬ侭中座し、点心を頂く事にしたが、この点心が非常に質素で、塩握り2個に少しのおかず…少々物足りなく感じても、被災者の事を思えば何とも無い、と云うコンセプトで有ろう。

点心後薄茶席に入ると、床は伝陳容の雲龍図、花入は「古銅八角鬼面耳」で香合が「堆黒笹蟹」、釜は芦屋真形、水指が法花と、書院風の重厚な取り合わせと為って居たが、脇を見ると其処には、先日現代美術家杉本博司氏のチェルシーのステュディオで拝見した、新作「光学硝子五輪塔 海景」が…21世紀の五輪塔は、そんな重厚な「書院」の中でも、互角に美しく、存在感を放っていた!

席入りが済み、席主に依るこの日の茶会の趣旨説明の後、お茶が始まる。

主茶碗は名碗「可和津」を思わせる、伊達家伝来、三渓旧蔵の無地刷毛目銘「千鳥」、替えの黒織部も深目で白の部分の白さが映え、高台も五角形の素晴らしい茶碗で有った。

後で聞いた所に拠ると、650人以上の来場者を呼び、900万円近くの寄付が集まったと云う、この素晴らしい茶会を企画した瀬津勲氏始め、東京美術倶楽部青年会の方々に敬意を払うと共に、ご一緒させて頂いた、全く気取らない気さくなお人柄のI社長、そして何から何まで教えて下さった若宗匠に大感謝をして、倶楽部を後にしたので有った。

その後は連れ立って、畠山美術館へ「離洛帖」と蒔絵手箱を観に行く事に。

国宝「離洛帖」は、恐るべきコンディションの良さにビックリ、そして3つ並んだ重文・重美の手箱は、本当に素晴らしいの一語…国宝の「蝶螺鈿」が5日を以て展示替えに為っていた事だけが、大変残念で有った。

美術館を堪能後、この日は「眼の満腹状態」で、「もう、モノは観れない!」感じだったが、実際の腹の方はと云うと少々心許なく、近所の「T」に行って蕎麦と出汁巻卵、蕨餅等を頂く。

腹も満腹に為ると、Mさん、そして若宗匠に別れを告げ、1人地下鉄に揺られたのだが、車内で思いを馳せて居たのは、濃茶席の床の間にその「傷」を見せて佇んでいた、根津美術館蔵の「此の世」の事で有った。
利休、織部、後水尾院、遠州と伝わったこの名物香炉は、その胴に傷を持ち、修復が為されている。だが此処が凄い所なのだが、その「傷」すらも日本人は「風景」として、否、「美」として迄捉えてしまうのである。

そして、この香炉の上に掛かって居た、竺田悟心の墨蹟の最後に記された「一片の身心 放下して休せん」の文句と「此の世」と云う銘、そして何よりも、「珠」と呼ばれる様な宝物に有る「傷」をも受け入れる日本人の美意識は、力強くも寛容に、筆者の胸に迫ったのだった。

「珠に傷」は、「魂に傷」でも有る。

その意味で、今回の震災で受けた「魂の傷」を日本人は受け入れ、近い将来それを消化し、新たなる思想や概念を産み出すに違いない。

こんな事を信じさせてくれるに余り有る、素晴らしい茶会で有った。