古典芸能の未来:「杉本文楽 曾根崎心中」@神奈川芸術劇場。

昨日の晩は、楽しみにしていた「杉本文楽 木偶坊 入情 曾根崎心中 付り観音廻り」(すぎもとぶんらく でくのぼう いりなさけ そねざきしんじゅう つけたりかんのんめぐり)の千秋楽を観る為に、妻と神奈川芸術劇場へと向かった。

この公演は、元々今年3月に5日間予定されていたが、震災発生の為に延期と為り、今月3日間の開催と為った物だ。

今回御一緒したのは、山海塾主宰の天児牛大さんと、アーティストの横尾美美さん。お2人を待っている間、会場に集まって来た人達を観ると、所謂文楽ファン以外の人が多い様に見える…此れも、例えば日頃文楽(や古典芸能)を余り観た事の無い杉本ファンや現代美術ファンの、杉本の視点を通して古典芸能に触れようと云う、意気込みの顕れの様に映った。

その間にも、本公演主催の小田原文化財団理事長の小柳敦子さんを始め、美術史家の山下裕二先生、写真家上田義彦・かれんご夫妻等、多くの知り合いに会いご挨拶頻り。暫くすると天児さんと横尾さんが現れ、お2人を杉本氏に紹介した後、皆で劇場へと急ぐ。

席に着き舞台を観ると、左右の裾に太夫と三味線、そして一番の特徴は、舞台中央に伸び、客席にせりだす花道の如き一本道…これが後程観る事に為る、「道行」を容易に想像させる斬新な舞台だ。

そして照明が全て落ち、まるで杉本の水墨画の様な軸装写真作品、「華厳の滝」を思わせる一筋のスポットが上から落ちると、三味線がスッポンから登場、その後胡弓が加わって「悲劇」を予想させる陰鬱な演奏と為り、「曾根崎心中」は開幕した。

今は上演されない初段、「観音廻り」を復活させた杉本は、左右の大スクリーンに映像を映しながら、エルメス製の衣裳を着せた「お初」を舞台奥からゆっくりと歩を進めさせる演出を見せる…ドラマティックだが、スクリーンの映像がライヴ映像で無い事に戸惑いを覚えたのは、筆者だけでは無いと思う。

その後、お初の観音信仰を象徴する「十一面観音立像」がスッポンからせり上がったが、その姿を見た筆者は、思わず息を飲んだ…何故なら、その仏像とは藤原期の木造で白州正子旧蔵、現杉本コレクションの「本物」の逸品だったからで有る!

初段後は文楽・歌舞伎でもお馴染みの筋書、吉田簑助桐竹勘十郎等の人形遣い、豊竹嶋大夫等の太夫人間国宝鶴澤清治を始めとする三味線も、一流中の一流、何とも贅沢なキャストだったが、中でもお初役の三世勘十郎は、息が止まる程に素晴らしかった!

例えば「天満屋」の段で、お初が階段から落ちて、床から起きれずに横たわった侭の場面等は、人形を実際の人間以上に、どうやったら「女らしく」遣えるのか、これはもう純粋にマジックである(その時のお初は、明らかにメルト妻よりも女らしかったのだ:笑)。
さて、現代美術家杉本博司の新演出に拠る、この剰りにも有名な近松人形浄瑠璃は、人形達がその遣い手と共に従来の「舞台」を飛び出し、人形達に取っては広大とも云える人間の為の「演劇舞台」を「縦横」、そして此処が重要なのだが、「前後」無尽に動き、普段余り見る事の出来ない、人形の足運びも観せてくれた。

また、遣い手が通常の黒紋付と袴では無く、全員が「黒子」装束を着けた事に因って、人形の存在感が増し、例えば歌舞伎サイズ(人間用)の引き戸を人形が開け潜っても、全く違和感が無い。この黒子装束は、江戸期の肉筆浮世絵の「傀儡師」を観ても、確かにその通りの出で立ちで有り、特に文楽に馴れない観客が人形の動きに集中出来、良かったと思う。

一点難を云えば、前述したスクリーン映像の使い方だろうか…。例えば冒頭の「観音廻り」でのお初の登場シーンや、せり上がって来る十一面観音像の場面も、人形や仏像の表情のクローズアップを映した方が、また各段の見せ場でも「ライヴ」で「顔」のアップを見せた方が、より印象的な演出に為ったかも知れない。
が、此処に断言するが、この「杉本文楽」は、未来の日本の古典芸能の1つの姿、歩むべき1本の道を確実に示した。

最近ニューヨークで、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「ロミオとジュリエット」を観たばかりなのだが(拙ダイアリー:「全てが罰せられるべき『聖なる地獄』」参照)、この「ロミ・ジュリ」と「曾根崎」の、恋愛の宗教(キリスト教と観音信仰)への昇華をテーマとする有名古典恋愛悲劇は、双方とも歴史と実力の有る「芸達者」達が、原作を忠実になぞりながら、ミニマルな舞台と芸術性の高い、美的センス溢れる斬新な演出を助ける、と云う点で共通している。

そしてこの点こそが、日本の古典芸能の「明日」を作る唯一の可能性だと思うのだが、杉本博司はそれを見事に実行実現させ、その成功を見た思想こそ、最後の「道行」の際左右のスクリーンに写し出された、自身作の「松林図」に象徴されるのだ。

舞台が終わると、遣い手達は素顔を見せて何度ものカーテン・コールに答え、最後は杉本氏のスピーチで公演は終了。

万雷の拍手の中劇場を出ると、天児牛大氏、横尾美美さん、上田義彦ご夫妻と中華街で夕食を取る事に…お店とメニューは、「ハマっ子」だったかれんさんにお任せし、美味しい飲茶を頂きながら、数多の話に花が咲いた。

「粋」なアーティスト、杉本博司氏に拠る「日本古典芸能の未来と可能性」を見せつけられた、素晴らしい1日で有った。