屋久島日記(2):「循環」と「共生」の島。

昨日は屋久島2日目。

本格的な屋久島体験の初日だが、4日目の午前中に帰ってしまうので、「全日」有るのは2日間だけなのだが…。

朝5時に、頼んだ個人ツアーのガイド、Tさんが宿に迎えに来てくれる。

Tさんは、或る有名写真家の最新写真集の為に森のガイドをした方で、筆者もその写真家から紹介して頂いた方だ。

未だ若いTさんは、元「樵」(きこり)で有る。大学生時代に屋久島の樵に出会い、その道に進む事を決めたそうで、オーストラリアやインドをバックパックで旅した事も有るとの事。

屋久島での「樵」の生活はハードで、屋久杉を守る使命と、死と隣り合わせの仕事を、森深い山を駆け抜ける体力(樵は山や森を、文字通り「走る」のだ)を使い、しかも木や動物の豊富な知識も必要とされる。

そんなTさんが、我々を最初に連れて行ってくれたのは、いなか浜の「朝亀」で有った。

屋久島は北半球最大の海亀の繁殖地なのだが、「朝亀」とは今の時期孵化する海亀の赤ちゃんが、普通は夜の間に浜に埋められた卵から生まれ、浜に這い出て月明かりを頼りに海に向かうのに対し、朝日が上った後に海に向かう寝坊亀(笑)の事だ。

そして日頃の行いの良い我々は、運良く何匹かの海亀の赤ちゃんを観る事が出来た!特に、何度もひっくり返りながら必死に波打ち際迄辿り着いても、其処からが大変で、何度も何度も波に押し戻され、何とか海へと消えた赤ちゃん亀には、思わず声援を送ってしまった…「なでしこ」に関わらず、不屈の精神は、何時も美しい。

いなか浜を後にすると、海辺で朝御飯。そして向かった先は「西部林道」で有る。

この「西部林道」は、屋久島の世界遺産登録エリア内で(全島が世界遺産では無い)唯一車で走れる道で、道路では有るが、鹿や猿達が平気で道の真ん中で遊んでいる、謂わば「サファリ・パーク」ノリの場所で有る。

彼らは人間を見ても何も恐れず、逃げず憎まず、唯一緒に居るだけで、此の状況が実現した背景には、決して餌付けをしない「共生」の道を住民が選んだ事が大きい。

そしてTさんが徐に道端で車を止めると、我々は旅行ガイドには決して載っていない秘密の森へと、足を踏み込んだのだった。

その森で見た、我々以外人っ子1人居ない森、まるでギーガーのデザインの様なガジュマル、巨大な岩、苔、そして雨と水…その全ては驚愕と美の連鎖で、とても筆舌に尽くし難い。

木の上に木が生まれ、根と根が絡み合い、岩の上に生えている木、苔の絨毯のグリーン、樹木と樹木の合体、生物(植物)と非生物(鉱物)すら、その森では1つと為り、共生していたので有った。

秘密の森を5、6時間堪能して移動し、豪快な「大川の滝」を訪ね、「中間のガジュマル」を観ながらのランチを終えると、今度は「沢遊び」へと出発。

そして、これまたTさんの「秘密の場所」である、息を飲む程に美しく澄んだ沢での、結構ハードな河原歩きや、泳いだりの沢登りの終着点は、余りに神秘的な場所で、其処は、謂わば自然が神を呼ぶ為に用意したかとしか思えない、数メートルは有ろうかと云う「天岩戸」を思わせる「浮いた」巨石と緩やかに流れ落ちる滝、回りの苔蒸す樹木達を擁する「祈りの場所」…全ては神憑り、その場所を独占した事を神とTさんに感謝し、浮輪に乗って空と緑の樹木を観ながら、川の流れに乗ってその場をゆっくりと去る際には、思わず両手を合わせて居た程である。

夕方迄の沢遊びで冷えた体を温泉で癒し、屋久島2日目は終了。

そしてこの日確信した事は、この島の全てが水に深く関わって居る事、また死んだ樹木に別の新たなる生命が宿る、則ち縄文時代以来の自然の「循環」の歴史で有る事と、植物や動物、そして人間の「共生」世界の稀なる成功例で有ると云う事で有った。

同種同士は云うに及ばず、異種同士での共生をも甘受、いや推進するおおらかさと生への貪欲さ。

そしてそれは、今人間社会が最も必要としている事に他ならない。