天才のスピード。

ティーヴ・ジョブズが亡くなった。

そもそも、コンピューター嫌いな筆者は「MAC」等触った事も無いし、iPodiPadはおろか、iPhoneすら持っていない。ジョブズが死んだと聞いても、正直「あぁ、そうなのか」程の感慨しか無かった…が、その死の一報を聞いて、先ず頭に浮かんだのは誰有ろう、あのマイケル・ジャクソンで有った。

それは今以て何故だか良く判らないのだが、56歳と云う若さで亡くなったITの天才と、50歳で亡くなった天才アーティストが走り抜けた「50余年」と云う生涯が、「敦盛」を思い出させたからかも知れない。


人間(じんかん)五十年
化(下)天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり


一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
これを菩薩の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ


この「人間五十年」とは「人生五十年」では無く、「人の世の五十年は、化天(『下天』とも)のたった一日にしか当たらない長さである」と云う意味なのは重々承知の上だが、どうしても「人の生涯は五十年」に置き換えたくなってしまう…実際、信長が「敦盛」を舞った時代はそうだったのだろうし、其れ程天才が送る人生の「スピード」は早いのだ、とも云えるのかも知れない。

スピードと云えば、此方で「God speed!」と云う事が有る。これは「成功を祈る!」と云った意味で、「スピード」と云う言葉には「成功させる」と云う意味が有るからなのだが、そう云われてみると、天才には「スピード」が付き物の様な気もする。そしてそのスピードが速い分、年数にするとジョブズやマイケルの生涯は短く見えるが、その中身は我々の常識を超えて濃いに違いない。

ジョブズとマイケルは、50余年の生涯を駆け抜けた。そしてこの天才2人の最も重要な共通点は、2人の産み出した「作品」が、地球上の「如何なる地域、性別、年齢、宗教を問わず」愛された、と云う事実では無いかと思う。

ジョブズも、あの世では「スピード」を少しは落とせる様、お祈りしたい。


"... but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away".


(from the text of the Commencement address delivered by Steve Jobs, at Stanford University on June 12, 2005)