「一命」と「狂った果実」。

ニューヨークは寒くなって来た。

ウォール街では夜中の無許可デモで28名が拘束され、次第に無秩序化の様相を呈して来たが、しかし個人的には、アメリカの金融関係者が「99%」の国民に卵を投げ付けられても、或る意味仕方無いのでは無いかとも思う。

何故なら、2008年にリーマン倒産に拠る金融危機が起こった時、大手金融会社が国民の税金を使って生き延びたと云う事実を、彼らはそれが恰も自分の祖父の時代の出来事で有るかの様にすっかりと忘れ去り、再び経営が苦しいからと云うふざけた理由で、「99%」が最も苦しむであろう「デビット・カード」等の銀行手数料を値上げすると宣言し、しかし重役達は未だに年間数億、数十億のサラリーを貰っている、と云う事を皆知っているからである。

アメリカは、もう以前のアメリカでは無い。資本主義が拝金主義と変貌し、ウォール街も「盗人猛々しい」と思われる今と為っては、「そんなに金が欲しい奴は貰うが良いが、貧しき者に卵をぶつけられても我慢すべきである」と云う論調に為っても仕方が無い。これはパレスチナ問題でも然りで、アメリカのダブル・スタンダードには、皆もう飽き飽きとしている証なのだ。

さて、木曜の夜は、友人のアーティストI氏とリンカーン・センターへ、再び日活映画を観に…今回も「あんちくしょう」原作の「狂った果実」である。

日活1956年度制作、中平康監督の本作は、トリュフォー等に絶賛されヌーヴェル・ヴァーグに影響を与えたとの評価も華々しい。確かに観終わってみると、特にラスト・シーン等はそれ以前の日本映画には無かった終わり方だと思うし、カット割の面白さや武満の気だるいムード・ジャズと現代音楽は、当に「ヌーヴェル・ヴァーグ・ジャポネーズ」と云っても過言ではない。

この映画で実質デビューした若き日の津川雅彦は、何とも云えぬ個性的な暗い「顔」をしており、一説に拠ると「あんちくしょう」が或る結婚式で津川を見かけ、一目で「この役は、彼でなくては駄目だ」とスカウトしたそうだが、特にラスト・シーンで、モーターボートで浮気な彼女役の北原三枝を轢き殺し、ヨット上の兄役の裕次郎に突っ込む前に、ヨットの周りを自分をコケにした二人を睨みながら全速力で走る時の彼の目付きは尋常では無く、表情だけでもかなり迫力の有るシーンで有った。

全編を通じてはと云うと、前作「太陽の季節」を観た時と同様に、この原作者が今何故此処迄「無責任」な政治家に為ったのかと云う「原点」が見えた事と、この原作が、例えば田中康夫の「なんとなく、クリスタル」と一体何が違うのかと云う疑問を持った事が、一番の収穫で有った様に思う。

見終わった後は、I氏とお互いの連合いを伴い、リンカーン・センター近くのメキシカン「R」で食事…「あんちくしょう」の悪口で盛り上がりながら、街一番のワカモーレから始まり、海老、チキン、ビーフ、最後の「揚げドーナッツ・チョコレート・ソース掛け」迄、完食…非常に楽しい一時であった。

そして昨日の夜はと云うと、映画担当部長のサミュエルからの招待で、今度はジャパン・ソサエティーに赴き、市川海老蔵主演の「一命」を観る。

この「一命」は、1962年の大名作、小林正樹監督・仲代達矢主演の「切腹」を三池崇史監督がリメイクした作品で、主演の海老蔵の他には、瑛太役所広司満島ひかり等が出演している。

作品上映前には、アメリカ・プレミアに際して三池監督がビデオ出演し、「本格的時代劇」を目指した事をニューヨークの観客に述べた…期待も高まろう物で有る。そして観終わった正直な感想は、今回の三池・海老蔵作品は、小林・仲代作品には残念ながら遠く及ばず、そしてその理由は、たった1つ…海老蔵の演技が下手過ぎたのだ。

はっきり云って、海老蔵の所作の素晴らしさや男前さと、「台詞廻し」や「感情表現」のレベルギャップが有り過ぎるのである。現代劇での台詞回しが下手なのは、歌舞伎役者だから仕方無いとは思うが、何しろ感情表現もダメで、筆者も感情移入が全く出来ない…本当ーに残念である。これは、海老蔵を今でも役者として「惚れに惚れて、買いに買い捲っている」筆者の出す「愛のダメ出し」なので、海老様ファンの皆様も、どうぞ気を落ち着ける様に(笑)。

その反面、三池監督のセンスはかなり素晴らしい。セットでの美意識やカメラ・アングルの移動、色彩等、全てに見応えが有る。また、役所広司満島ひかり中村梅雀等の脇役の演技も中々良かったが、もう1つ忘れてならないのが坂本龍一の音楽で、ウチのゲル妻が3月に教授と共演した時に、教授が「最近、亀井広忠君達と『一命』の録音をしたんだよ。」と仰っていたその音楽は、鼓や太鼓、篳篥(ひちりき)等の邦楽器が本当にひっそりと入っていたりして、教授の美しい旋律と共に、この血生臭い「反骨」の作品を格調高く盛上げている。

そう、この作品は、監督を始め海老蔵を引き立てる為の「全て」が、万全の体制で揃えられたにも関わらず、の結果だったので有る。しかし最後に1つだけ彼を援護するとすれば、海老蔵瑛太満島ひかりの「父親役」は、やはり年齢的に云って無理だった様に思う…作品内容だけ考えれば、例えば渡辺謙の様な人の方が、年齢的にも役柄的にも合っていたのでは無いだろうか。

云いたい放題で申し訳無いが、市川海老蔵と云う役者は、このレベルで終わる役者では決して無い。

これからの成田屋の精進、そして以前聞いた本当の話か嘘なのかは判らないが、成田屋が「利休」に為ると云う「某作品」の実現を、期待して止まない。

PS:画面中の海老蔵が、知人の天才ケーキ職人K川さんに見えた事は(拙ダイアリー:「『シゲハム』と『マゴムチ』:合同バースデー・パーティー@55th Floor」参照)、この映画の評価には全く影響が無かった事を念の為此処に記しておく(笑)。