備前でのご馳走。

東京での2日間の仕事後、休暇で関西・山陽を経て、今マヨンセの実家の在る萩に来ている。

さて話は遡り、旅立ちの前日はアーティストNとKの両氏を含めた総勢5人で、恵比寿で食事。もう此処にはとても書けない「アブナイ話」でかなり盛り上がったが(笑)、最後には筆者の為の思いがけ無いバースデー・ケーキも出て来て、感動…持つべき物は友で有る。

そして、西へ向かう旅の最初の中継点は京都…仕事抜き(とは云え、ホテルに届いて居たカタログの最終プルーフをチェックし、誤りを多数見付ける…トホホ)、且つマヨンセと訪れる京都は久し振りだ。

実は今回、マヨンセと訪れる京都への旅には「危惧」が有った…それは彼女と2人で京都に行くと、必ず大喧嘩をすると云うジンクスが有ったからで、実際新幹線に乗った頃から、2人の間にはえも云われぬ緊張感が漂って居たので有る(笑)。

そんな中、「これぞ京都!」な纏わり付く湿気に身を委ね、京博での「遊び」展を観覧したり、橋掛の壁板(?)に絵巻的金雲が描かれた、中々素晴らしい伏見稲荷能舞台や「千本鳥居」を楽しむ。その後も大徳寺高桐院に細川ガラシャ夫人の墓を訪ねたり(此処の「松向軒」と「意北軒」も美し過ぎる…)、旨い担々麺や親戚に連れられて行った祇園のカウンター割烹後のお茶屋迄、幸いにも今回だけは「ジンクス」も当たらず(笑)、京都をハッピーに堪能し捲った。

翌日は大阪へと移動し、新しく為った大阪フェスティヴァル・ホールで開催された、「至高の華 道成寺 二題」を観る。

この公演は、能楽観世流シテ方梅若玄祥師の能「道成寺」と、ご子息で有られる歌舞伎の振付師で藤間流八世宗家の藤間勘十郎師の歌舞伎舞踊京鹿子娘道成寺」の「道成寺二題」に、道成寺住職の小野俊成師に拠る「道成寺縁起絵解き」迄付いた、超豪華版だ。

小野師の粉れた分かり易いお話が終わると、「京鹿子娘道成寺」、続いて「道成寺」と相成ったが、観終わってみると、ホールでの能の公演は矢張り難しく、それ用に作り直したとしても(「乱拍子」を短縮したり、「鐘入」の際に坂を登ったり、始まりと終わりが「緞帳の上げ下げ」だった事等)、結局は道成寺独特の緊張感が失われて仕舞った感が有り、少々残念で有った。

そして道成寺の翌日、我々は大阪を発つと、今度は岡山備前へと向かう…以前から約束していた備前焼の陶芸家、K氏を訪ねる為だ。

桂屋家とK家のお付き合いは、筆者の両親、叔母と、K氏のお父上、叔父上両氏とのお付き合いに始まり、ご子息で有る氏と筆者の代へと続いて居る。そして今回の訪問の目的は、昨年父が亡くなった時にK氏が葬儀に駆けつけてくれた事に対する御礼と、その当時偶然にもK氏が東京で開催していた個展で見た素晴らしい茶碗の感想を、是非とも直接本人に伝えたいと云う事で有った。

岡山駅から赤穂線に乗り、数十分…伊部駅に着くと、ご長男が迎えに来てくれて居て、早速山の麓のK氏宅へと向かう。客間に招かれると、其処は古色も豊かな和室で、此処から数々の名陶が生まれたと信ずるに余り有る雰囲気だ。

そして其処で昼食を頂く事に為ったのだが、その食事たるや驚くべき物で、骨煎餅や野菜の煮付けから鱧の押し寿司、そして最後の饂飩迄、そこいらの料亭顔負けの美味と盛り付けの美しさだったのだが、何とその全ては息子さんのお嫁さんの手に拠る物だと云う…今迄筆者が人の家に数多お邪魔した経験の中でも、正直1、2を争う味だった。

K氏の奥様は、数年前に他界されたので、それ迄にK家の味は奥様からお嫁さんに引き継がれた訳だが、それはデザートの「魯山人が好んだ切り方」で出された「丸ごとの白桃」の食後に頂いた、お抹茶の緑の映える、豪快でドッシリとした焼締の茶碗と同じ様に、当に家の伝統を継ぐ素晴らしい物で有った。

食後は工房を見学し、洋間に場所を移すと、今度はコーヒーを頂きながらK氏と長次郎、現代美術、クラシック音楽、ジミヘン、仏教美術等の骨董に就いて話をする。

K氏との話は尽きなかったが、帰りの時間が来ると、K氏は名残を惜しみながら桃のお土産を我々に持たせ、次男さんが運転する我々の乗った車が見えなくなる迄、見送ってくれた。

岡山から新山口に向かう新幹線の車内で、この備前での一日に戴いた数々のご馳走の事を考えて居たが、思うに最大のご馳走は、現在闘病中のK氏が作った素晴らしい茶碗で頂いたお茶、K家の家族の絆と、K氏の前向きな姿で有った。

そして、次回お会いする迄K氏がお元気で居られる事を祈りつつ、今度K氏と会ったら何を話そうかと、今から楽しみで仕方の無い孫一なのでした。