「本物」の中の「贋物」と、「贋物」の中の「本物」。

3月のオークションのカタログ制作も酣…と云うよりも所謂「デッド・ライン」なので、今週末も休みが無い。

夜は夜で、時差ボケで起きてしまう夜中には、亡き父の「偲ぶ会」関係のメールや、カタログ・デッドライン終了後に今度は東京での下見会や、日本での新プロジェクトの為の打ち合わせメールを日本とやり取りしたりしているので、全く以て体と精神が休まらない…。

そんな中、先日日本に居る或る友人から、イタリアの中部の沖で未だ座礁している豪華客船「コスタ・コンコルディア号」に「浮世絵コレクション」が乗っているらしい、と云う新聞記事が送られて来た。

その記事を読んでみると、あの船には何と約6000点の絵画や骨董品と共に、北斎12点、歌麿3点、写楽1点が「健康施設」内に展示されていたと運航会社が話して居る、と有る。

あれだけの豪華客船なので本物の浮世絵かも知れないが、「健康施設」に展示されていたと為ると、額装されていただろうから、若しかすると、非常に出来の良い近代の「複製木版画」かも知れない。しかしそれらが本物で、あの状態の船から救出された後に、ウチで「Important Ukiyo-e Prints Collection Rescued from the Italian Wrecked Ship」等と銘打たれたオークションに掛けられたりすれば、恐らく話題性も手伝って高く売れるに違いない…なので、個人的には早急な版画の救出が望まれるので有る(笑)。

この様に、そもそも美術品には「真贋」の問題が付き纏う。

そして筆者の仕事の最も難しいパートの1つに、美術品の「査定」と共にその「真贋鑑定」が有る訳だが、古美術作品の真贋とは「上手い下手」と云ったクオリティの優劣とは異なり、白洲正子も嘗て「名人は危うきに遊ぶ」と良く云っていた様に、ハッキリしないが故に美しかったり「味」が有ったりする物なので、非常に厄介なのだ(笑)。

その厄介な真贋鑑定の仕事の中でも、特に厄介なのが、或る系統だったコレクション中の作品の真贋の見極めである。

かの有名なる、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の「コンプリート・セット」を例に取って説明しよう。因みに「富嶽三十六景」のコンプリート・セットを貴方が観た時に、36景、つまり「36枚」の版画が有ったのなら、残念ながらそれは「コンプリート」では無い。「コンプリート」と呼ぶからには、「裏富士」と呼ばれる、東海道側からではない富士の絵が10枚を加えた、計「46枚」でなくてはならないからだ…今日はこの話題で、友達に自慢して下さい(笑)。

さて数えた所、そのセットはキチンと46枚有り、それなりの保存状態である。が、先ず気を付けなければならないのは、46枚全てが「初摺」とは限らない事で、出版当時の「オリジナル・セット」が残っている事自体珍しい事極まりない訳だから、大抵の場合後から入れ替えたり、付け加えたりして「コンプリート・セット」にしているケースが殆どだからである。

そして「査定」と云う事になれば、例えば「神奈川沖浪裏」(通称「大浪」)や「凱風快晴」(通称「赤富士」)、「山下白雨」等の「役物」と呼ばれるイメージが初摺で状態が良ければ、それでセットの値段が大体決まるのだが、前提条件として当然この46枚全てが「本物」でなければ為らないのは云う迄も無い。

「46枚の内45枚が『本物』で、1枚が『贋物』だったら」…そうなると、この作品の「セットとしての価値」は当然ゼロにはならない無いが、かなり下がってしまう。この様に、「1枚の贋作」を見極める「目利き」も大変なのだが、しかしそれにも況して困難な「目利き」の状況が有るのだ…それは実は、「46枚中45枚が『贋物』で、1枚だけが『本物』である」場合なのである。そしてその場合、もし「大浪」だけが本物だったら、と考えるだけで、冷や汗が出てくる…時に1枚「3000万円」するホンモノの「大浪」を見逃すことに拠って、このセットの価値は「0円」に為ってしまうからだ!

この「目利き」が難しい理由は、例えばこの「富嶽三十六景」の様なセット物を観ていく場合、最初の10枚が全て贋物だと、観ている者(特にプロ)は「あぁ、こりゃダメだな」と直ぐ思ってしまい、「これは贋物セット(若しくは「後摺セット」)だ」との先入観が生ずるからで、この先入観こそがプロの眼すら曇らせる曲者なのである。

筆者の骨董の師匠は、良くこう云っていた…「『良いモノ』だけを観る様にしなさい。『良いモノ』だけを観ていれば、自ずと『悪いモノ』が判る様に為る」と。そして「モノを観る眼は人を観る眼、人を観る眼はモノを観る眼」とも。

古今東西、「ホンモノ」を見極める難しさは、美術品も人間も同じなのだ。