「ジャージー・ガールの死」と「第54回グラミー賞」

昨晩、ブルース・スプリングスティーンのライヴで幕を挙げた「第54回グラミー賞」は、本職よりも素晴らしい司会振りのLL Cool Jに依るホイットニーへの追悼の後、会場全体で黙祷を捧げる事から始まった。

しかし、略毎年グラミーのステージを観ているが、此方のアーティストのライヴ・クオリティは、本当に素晴らしい…。たった1曲の演奏でも、視聴者のみならず会場に来ている「プロ」達をも、あれ程熱狂させるのだから。

今年もブルーノ・マーズやリアーナ、ジョー・ウォルシュ(!)、シヴィル・ウォー、アデール(全ての観衆が彼女の才能に対して、永遠に続くかと思われる程の、惜しみ無い称賛の拍手を与えた!)、そして「I'll Always love you」をホイットニーに捧げ歌ったジェニファー・ハドソン等の、各アーティストに拠る実に個性的なライヴを堪能したが、これは、似た様な個性を集めた「グループ」しか売れない何処かの国とは根本的に異なり、個性を大事に育てるアメリカ教育のなせる技ではないかと切に感じる。

そして今年のグラミーは、23歳にしてもう大スターの貫禄、以前から筆者イチオシのアデール(しかし彼女の「カレ」は、何と可愛い「おデブちゃん」なのだろう!)が「Album of the Year」、「Record of the Year」、「Song of the Year」等を独占し、幕を閉じた。

さて、昨日のニューヨークのテレビは、ミュージック・ヴィデオ・チャンネルのみならず、朝の報道番組でもメイン州でのロムニーの勝利の扱い等かなり小さくなってしまう程、亡くなったホイットニー・ヒューストンの特集一色と為った。

そして、このニュージャージー出身の「同い年」の天才シンガーの死は、筆者にも衝撃を与えたのだが、それと共に懐かしい過去を思い出させた。

それは筆者が大学生の時、初めてホイットニーを知り、そのデビュー・アルバムのジャケットを見て非常に驚いた事で有る。

ジャーメイン・ジャクソンナラダ・マイケル・ウォルデン等がプロデュースした、このホイットニーのデビュー・アルバムを筆者は実は「2枚」持っていて、筆者の記憶が確かならば、1枚は確かオレンジっぽいバックの窓の中に、モード系のメイクをしたホイットニーが居る輸入盤、そしてもう1枚が、白のワンピースの水着を着た彼女が、砂浜で両手を腰に当てて立っているジャケットの国内盤で有った。

そして、そのジャケットの何にそんなに驚いたかと云うと、それは彼女の「スタイルの良さ」と「ファッション性」で、それは何故かと云えば、それ迄のソウル・R&B系の「歌唱力がスゴい」女性シンガーは、こう云っては何だが大概肥っていたり、怖い顔だったり、あまりに「ビッチー」な風貌だったりしたからで有る。

「こんなにお洒落で、こんなにスタイルが良くて、こんなに歌が上手くて、これ程美しい声を持った、自分と同い年の歌手が居るなんて…」と真剣に驚いた彼女の衝撃のデビューは、後世のマライア・キャリー等とは正直比べ物にならない。

またホイットニーには、デビュー・アルバム後もヒット曲は多々有るが、筆者に取っての最高の曲は、このアルバム中に収録されている「Saving All My Love for You」と「The Greatest Love of All」の2曲で、これ等を超える曲は無いと云っても良い(強いてもう1曲挙げるとすれば、「I Have Nothing」だろうか)。

そして彼女が当時人気絶頂だったボビー・ブラウンと結婚した時、皆首を傾げた物だ…あんな「チビッ子ギャング」の何処が良いのだろうか、と。

その後、案の定、勿論総てボビーの所為とは云わないが、彼女の生活が乱れ麻薬に溺れ始めると、その後の転落は早かった。しかし近年復活し、先月迄映画も撮っていたらしいから、そんな奈落の底からのカムバックの矢先のこの死は、デビューからのファンとしては何ともやるせない。

しかし、彼女の「声」は消えない。

ホイットニーの「声」は、例えば彼女以前で云えば、今週末「ラジオ・シティ」で公演が予定されているアレサ・フランクリンチャカ・カーン、以降で云えばジェニファー・ハドソンクリスティーナ・アギレラメアリー・J・ブライジ、昨晩のアデールの様なシンガー達の「声」と共に、永遠に我々の記憶に残る筈だからで有る。

「永遠の声」を持った、同い年の「ジャージー・ガール」は逝ってしまった…。

少々早い気もするが、今年筆者が学んだ事からすると、「蝋燭」の燃え尽きる速度とその時は、誰にも予想が付かない訳だから、その人生で一度でも脚光を浴びた者の死は受け入れ、ただそれを称えるのが相応しい。

アデールの才能を「今」称える様に…。