「脚本」は上がった。後は…。

今日は、4年に1度の「2月29日」。

余分に与えられた1日を大事にしよう…1日有れば、本当に沢山の事が出来るのだから…。

さて、今年の「第84回アカデミー賞」は、結局下馬評通りの結果と為った。

その主役と云えば、サイレント映画として83年振りの作品賞を含む、主要5部門を受賞した「The Artist」と、何と17回目のノミネートで3度目の受賞を果たした、名優メリル・ストリープに尽きるだろう。

そして、フランス制作のサイレント映画が作品賞を獲ったと云う事実は、最近のハリウッド作品に、如何に「何か」が足りないかと云う事を、筆者に強く思わさずには措かない。

ハッキリ云って今のアメリカ映画界は、何でもかんでもCGとアクション、題材だけは時事的に新しくても陳腐な脚本等、100歩譲ってエンターテイメント作品の制作が中心だとしても、剰りに工夫が無さ過ぎる嫌いが有る…要は「技術」に偏りすぎていて、映画本来の「芸術性」を疎かにしているのだろう(昔は、確かに有ったのだから!)。

昨年、イギリス映画の「英国王のスピーチ」が作品賞を獲った時も、「アレは単に、米国アカデミーの『英国コンプレックス』の証だ」等と云う人も居たが、しかし、特に脚本の出来や俳優達の演技も「ソーシャル・ネットワーク」等のアメリカ作品とは「格」が違った。

況してや米国アカデミー賞は、英語で制作されてさえ居れば、何処の国の作品でも賞の対象と為るのだから、この侭では、これからも外国制作映画がアカデミー賞を席巻するのでは無いかと思う(逆に云えば、英語で作品を作りさえすれば、日本作品や日本人監督にも、充分チャンスが有るのだ)。

序でに云えば、最近観て良かった「ドラゴン・タトゥーの女」(拙ダイアリー:「龍の刺青を持つ少女」参照)も、素晴らしく面白いスウェーデン作家の原作を基にしての脚本なので尚更そう思う訳だが、しかし1つ提案がある。

それはアカデミー賞の、特に監督、脚本部門(俳優には余り思わないのだが)に「新人賞」を設ける事だ。
筆者が大学時代、教わっていた映画論の先生が良く云っていた…「良い脚本が出来れば、その映画は既に7割方成功している」と。「脚本」は、成功する映画の全てと云っても過言では無い。

監督・脚本部門に新人賞を設ける事に拠って、その未来を嘱望し育てる事こそ、今アメリカ映画に欠けている映画の「芸術性」を育てる事に為ると思う。

ハリウッドの悪口はこれ位にして、此方はと云えば、下見会も終わって日常業務に戻った訳だが、ここ数日顧客廻りの合間にも、幾つかの展覧会を観て廻った。
成山画廊で開催中の「松井冬子大下図展」は、当然横浜美術館での個展に合わせた展覧会。

出展数は少ないが、例えば「転換を繋ぎ合わせる」等の緻密な、そして迫力有る下絵も有るが、しかし値段の方もかなり迫力満点(笑)。

また、21_21 Design Sightでは、「Irving Penn and Issey Miyake Visual Dialogue」展を観た。

この展覧会では、展示された過去のポスター等に、ぺンとイッセイの素晴らしいコラボレーションが観れるが、それにも況して興味深いのは、良い意味で「英語教材」の様な、展覧会タイトルと同名の良く出来たアニメーションで知らされる、イッセイがペンに「何の注文」もせずに、写真撮影を任せて居たと云う事実で有る。

また、大プロジェクターに映し出される、カラフルで彫刻的な「プリーツ」に代表される、イッセイ作品は今観ても新鮮で、其処に映し出される数々のイメージを観ると、このペンとイッセイの両者がお互いを尊敬し、信じ、任せ合う仕事は、両者が「超一流」だからこそ可能に為るのだと云う事を思い知らされる…流石の一言だ。

夜は夜で、来日中のニューヨークの親しい友人、現代美術家のインゴ・ギュンターと食事。

途中でインゴの長い友人、P3のSさんが加わり、皆で食事を摘まみながら、「違法性」「犯罪」「罪」「罰」等に就いて語り尽したが、何も犯罪を犯そうとしている訳ではないので、ご安心を(笑)。

そして、オークションに於ける「脚本」…頑張って集め、調べ、編集し、美しく纏めたセール・カタログも、やっと刷り上がって来た。

後は、今回のオークションを完結させる「残りの3割」…一体どんな「ドラマ」が、筆者を待ち受けているのだろうか?