「生きるぞー!」なアート。

然し日頃「事件」の多い僕には、先週も相変わらず色々な事が起こった。

先ずは西日本への向かう、出張「機内」での事。僕がテーブルに置いておいたジュースに、隣に座ったサラリーマン風の人の新聞が当たり、カップは倒れ、僕のスーツはビショビショ…然も薄茶のスーツだった為にシミだらけと為り、これから顧客と会う身としては、憤懣遣る方無かった。

倒して仕舞った隣客は当然恐縮して謝り、「クリーニング代を請求して欲しい」と名刺を差し出した。そして、その名刺を見て一寸吃驚したのだが、それは彼の名刺に、僕の非常に重要な顧客のアメリカ人大富豪が創立者で有る、IT企業の名が記されて居たからだった。

名刺に「本部長」と書かれたその隣客と、その大顧客ファウンダーの日本美術コレクションの話から、青山に在るその会社のビルに最上階に造られた茶室の話に為った時、今度はその隣客が12年間もお茶を習っていると云う。

そして「流派は?」と聞くと、何と武者小路千家だと云うでは無いか!結局僕は、ジュースでビチャビチャにされたスーツの怒りも忘れ、隣客とお茶の話で盛り上がったのだった…世間は狭く、お茶は世界を救う(笑)。

閑話休題。ここ最近も数多の顧客との食事をこなしながら、僕の展覧会巡礼は続いて居た…と云う事で台風一過の今週は、京橋の古美術商繭山龍泉堂で開催中の「宋磁」展を訪問。

龍泉堂さんは僕がこの業界に入って以来、当時ご存命だった大骨董商繭山順吉氏を初め、店員の皆さんに非常に可愛がって頂いて居るお店で、中国古陶磁を専門とする老舗だ。そして僕はこの店で、生まれて初めて「骨董品」為る物を勉強の為に買ったのだが(定窯の小壺だった!)、その作品も残念ながら今は手元に無い。

そして今回のこの「宋磁」展は、そんな龍泉堂の底力を見せ付ける素晴らしい展覧会で有った!

定窯や鈞窯、耀州窯や龍泉窯、そして磁州窯や吉州窯の青磁白磁、影青、そして陶片迄…宋磁のオールスター・キャストは優しく美しく僕を迎え入れ、その中の幾つかは、嘗てこの辺の小品をコレクションしていた事の有る僕に、再び「欲しいっ!」と思わせる。小粒でピリッとした作品が好きな僕は、「嗚呼、俺ってやっぱり、日本人なんだなぁ…」と小声で1人呟いた(笑)。

次に向かったのは、東博の「日本国宝展」のレセプション。

こう云っては何だが、最近の「内覧会」は人が多過ぎて、キチンと「内覧」が出来ない。そして「国宝展」だから当然と云えば当然なのだが、名品が余りにも多過ぎる上に、挨拶すべき人も多過ぎて気もそぞろに為り、作品に集中出来ないのが辛い。

然し、この展覧会で見るべき物は流石に数多く、個人的には例えば「玉虫厨子」、「地獄草紙」や「餓鬼草紙」、「孔雀明王像」や薬師寺神像群、「支倉常長像」や「鳥毛立女屏風」等、もう垂涎モノばかり…が、先生方や業者さん達との挨拶の合間に観た名品達は、矢張り再見せねば為るまい。

が、個人的に超インプレッシヴだった展覧会が、上記以外にも実はもう1つ有った…それは、都現美で開催中の展覧会「コンタクツ」。

開館20周年記念のこの「常設展示特別企画展」は、都現美の所蔵品同士を組み合わせての物なのだが、その出展作品中に、僕のハートを鷲掴みにした作品が2つ有ったのだ!

その1は、宮島達男の「それは変化しつづける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く」。

本作は巨大な方形の電光掲示板に組まれた数多のLEDが、異なるスピードで1から9迄をカウントして居るのだが、その後一瞬黒く止まり、それはつまり「死」を意味するのだと云う。成る程デジタルの世界も、「0」と「1」の他に数字が消える一瞬、謂わば「無」が有る訳だから、それをデジタルの「死」と云っても良いのだろう。

誰も居ない大きな部屋で、この作品の前に唯1人佇んで居たら、何故か「人生は一度、やり遂げきゃ…」と強く感じた末、白隠禅師の師正受上人が悟ったと云う「一大事と申すは、今日只今の心也」と云う言葉をこれまた何故か思い出し、胸に刻む事と為った。

そしてもう1点とは、加藤泉の新作巨大木彫「Untitled」作品群だ!

観て居ない人には決して伝わらない気もするが、この作品に迫力は本当に凄い。2mを余裕で超える「バンザイ」をしたフィギュア達は、荒々しさと優しさを兼ね備え、「生命の悦び」を声高に、或いはひっそりと観者達に訴え掛ける。

このアフリンカン・プリミティヴ・アートにも、巨大神像にも思える加藤の新作は、「命の原初の誕生」と同時に「生命力の永遠性」を僕に強烈に感じさせる。そして、その力強い木彫フィギュア達が叫ぶ「声無き声」は、疲れ気味の僕を再び覚醒させて呉れた、「マイナス・イオン」的作品と呼びたい程で有った。

秀逸な現代美術には、古美術に無い「ライヴ感」や「生命感」が有る。そして何百年の後、何時の日か「国宝」に為るかも知れないと云う「未来」が有る。

宮島達男と加藤泉と云う、今生きている作家達に拠る優れたアートに、改めて「生きるぞー!」と覚悟した孫一なのでした。