Toshiko Akiyoshi Jazz Orchestra@Rose Theater.

先週末は、2週間振りのニューヨークでの週末。

その金曜の夜は、久々にジャズ・ピアニストのH女史、ゲル妻とチェルシーのイタリアン「B」でディナー…Tシェフの味を久し振りに堪能した。

帰り際には、Tシェフと村上春樹談義になり、春樹に関する評価意見が真っ向から対立したが、彼に対して「あれ程『味』と『音楽』の趣味が良いのに、何であんな作家が好きなのだろうか?」と真剣に思う…向こうも、「お出口はアチラ」ってな感じなのだろうが(笑)。

そして、この日は「B」でお仕舞い…とは為らず、「ミッドタウンの『T』で、もう一杯」と云う、危険極まりない事態に陥った。

「T」に着き、和食店「D」の腕も顔も素晴らしいシェフのJさんを呼び出してみると、近くで飲んでいたらしく直ぐに合流…結局夜中の2時過ぎ迄、飲み食いしながらガチな話で盛り上がる。

そして土曜の夜は、タイム・ワーナー・ビル内の「ローズ・シアター」で行われた、「Toshiko Akiyoshi Jazz Orchestra」のコンサートへ。

穐吉敏子の、と云うかビッグ・バンド・ジャズ自体を聴くのは本当に久し振りで、若しかしたら大学生以来だったかも知れない。

そもそも、「オスカー・ピーターソン・トリオ」と「カウント・ベイシー・オーケストラ」からジャズの世界に入った筆者だが、その内にビル・エヴァンスコルトレーン、マイルスを知り、ウィントン・ケリーバド・パウエルリー・モーガン等へと走った。

そう云ったハード・バップのソロ・アーティストや、ブルーノート・レーべルのレコードを聴き始めると、例えば「ジャズ・メッセンジャーズ」以外のビッグ・バンドの音楽は、何処か古臭くてユルく聴こえ、自然と遠ざかってしまっていたのだった。

さてローズ・シアターに着き、如何にも「コットン・クラブ」なもう1組のビッグ・バンドの演奏が終わると、インターミッションに続き、愈々穐吉敏子とジャズ・オーケストラの登場である。

ステージに立った穐吉は、とても82歳とは思えない程背筋もピッとして居て、ピアノに座ったり、立ち上がってはバンドの前迄歩いて「指揮」したり…。

最初の数曲は、彼女のこの動きが目に付いて落ち着かなかったが、個性的な曲を聴き重ねる度にそれにも慣れ始め、序でにこのジャズ・オーケストラの演奏が型に嵌まらず、かなり奔放な事に気付き始めた。

その奔放さには、或る種のエスニック感が含まれるのだが、例えば「ポリネシア」と云う曲は、ルー・タバキンの素晴らしいフルート・ソロが、鳥の声の如くフィーチャーされ、「ドラム・スイート」では日本からのゲスト、太鼓の林英哲が参加し、ライヴのラストを飾る広島を題材とした「Hope」にも、当然日本的な香りが漂う。

しかし、筆者に取ってのこの日のベスト・パフォーマンスは、そう云った作品では無く、何と云っても「Remembering Bud」で有った。

悲しげな、しかしファンキーな穐吉のピアノは、何処かクラシック・ピアノを思わせ、大好きなベニー・ゴルソンの名曲「I Remeber Crifford」を彷彿とさせるが(リー・モーガンに拠る、胸に染み入る名演が有る)、それに勝るとも劣らない、非常に素晴らしい楽曲・演奏だった。

穐吉敏子と云うミュージシャンは、云う迄も無く、ジャズの本場に於ける日本人の草分けで有る。しかし彼女は単なる「マイノリティの草分け」に留まらず、グラミー賞のノミネートや、アメリカの各種専門誌での受賞歴、人気投票等でもその名は知れ渡り、それはこの晩も登場の際ステージ・イントロデューサーに、

「Please welcome, "Great" Toshiko Akiyoshi !」

と紹介された事でも明らかだろう。

この夜観た穐吉敏子のジャズは、所謂旧式のビッグ・バンドとその音楽では、決して無かった…実に個性的で実験的な、人種を超えた楽曲と演奏を誇る「コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ」で有った。

そして其処にこそ、日本人である彼女がニューヨークで、そして生き馬の目を抜くジャズの世界で生き残り、今でも「Great」と呼ばれる所以が有るのだろうと思う。

万雷の拍手で迎えられたアンコールは、曲の途中でバンドのメンバーが一人ずつ抜け、観客に挨拶をしてステージを出て行くと云う演出。

最後にたった1人残った、公私共に穐吉のパートナーで有るルー(彼は穐吉より11歳年下だ)は、サックスを吹き歩きながら、そして観衆の大喝采の中、静かにステージを立ち去って行った。

82歳の大ベテラン女性ジャズ・ミュージシャンならではの、粋な演出のエンディングで有った。