「職人技」を継ぐ者への応援歌:"Jiro Dreams of Sushi"。

先ずは「重要告知」から。

来る4月25日10:00PMより、イースト・ヴィレッジに在るライヴ・スペース「The Stone」(→http://thestonenyc.com/)に、ゲル妻が坂本龍一氏とデュオで出演する(→http://www.sitesakamoto.com/whatsnew/)。

今回のこのパフォーマンスは、坂本龍一氏のニューヨーク・ツアー中のゲスト・パフォーマンスの1つで、氏のピアノ・ソロと能「道成寺」をベースにしたゲル妻の即興舞踊との、約1時間のコラボレーション。

ゲル妻の眼はもう三角に為って来ているが(笑)、興味深いパフォーマンスに為りそうだ。

尚、「The Stone」は席数が非常に限られたスペースで有る事と、「当日券のみ」の発売なので、ご興味の有る方は、早目に会場にお越し頂きたい(詳細は上記「The Stone」サイトにて)。また、「Ustream」の放映等が決定したら、この場で報告したいと思う。

さて、今日の本題。

全く以てこんな映画は、ニューヨークに住む者に取っては「眼の毒」「腹の毒」で、実に困った「罪作り」な作品で有る(笑)。

この作品を観にダウンタウンの「IFC」に向かう時も、或る程度の覚悟をして行った積もりだったが、この映像を観た後に、「鮨」を食わずに我慢出来る人間が居たら、そんな奴は「食う事」に全く興味が無いか、味音痴か何かで有るに違いない…(笑)。

その困った映画とは、ディヴィッド・ゲルブ監督のドキュメンタリー作品「Jiro Dreams of Sushi」…「Jiro」とは東京銀座の鮨屋すきやばし次郎」の店主、小野二郎さんの事で有る。

因みに本作品の監督ゲルブは、メトロポリタン・オペラの総支配人ピーター・ゲルブの息子。見るからに旨そうで美しい、二郎さんの握った数々の鮨のバックで、そこかしこに散りばめられたクラシック音楽フィリップ・グラスの曲にその出自が見え隠れするが、最近この映画を観た友人の一流シェフ2人が、この音楽と映像のマッチングに関して、正反対の感想を持っていたのが面白い。

さて「すきやばし次郎」は、云わずと知れた超高級江戸前鮨屋。店舗は雑居ビルの地下、トイレも共同、メニューは3万円のお任せコースのみで、カード使用も不可…それでもミシュランは、この店に「三ツ星」を与えた。

そしてこの映画の主人公で有る店主、小野二郎さんは当年取って、85歳。因みに二郎さんは、85歳で店に出て働いている「ミシュラン『最年長』シェフ」として、ギネス認定されて居るとの事だが、しかしこの作品には重要な主人公がもう1人居て、それは誰が何と云っても「長男」の禎一(よしかず)氏で有る。

何故なら、長男そして弟子として「このオヤジ」と同じ店で何十年も働き仕えるのは、さぞ大変だろうと思うからで、それは超一流の職人と云う奴は「絶対に」仕事に於いて妥協せず、それが「看板」を持つ父親で有るなら尚更だからだ。

10年奉公してやっと一人前(「玉子」を焼かせて貰える)、それから独立、と聞くと、昔の骨董屋の丁稚の生活を彷彿とさせるが、実は何の世界でも同じで、10年位の下働きが辛抱出来ない奴は、何処の職人の世界でも絶対に一流には為れない。

しかし、余りに偉大で天才的な父親や師匠を持った余りに、子供や弟子が畏縮してしまってダメに為る例は、美術品業界にも多い。

それは学ぶ事が多い反面「俺にはオヤジと同じ様には出来ない」と思う息子、「こんな事も出来んのか…」と思うオヤジも多く、親子を比べる周りの眼も当然ながら厳しいからで有る。

その点「次郎」の長男禎一氏は、我慢強そうで己を知って居そうだし、映画を観る限りかなり確りして居そうだ。そして親父の方も、きっと長男・次男と云う生来の立場を超えて、何方を外に出し(次男は六本木に「支店」を任されて居る)、何方を残すべきかを考えた末の結論なのだろう。

さて最近、世界で最も予約の取れないレストラン、「エル・ブリ」のドキュメント・フィルムを観たのだが(拙ダイアリー:「完璧なる『前衛』の為の、6ヶ月」参照)、そのオーナー・シェフのフェラン・アドリアと二郎さんとの共通点が有る。

出す料理のクオリティに関して絶対に妥協しない。職人で有る上に、創造的芸術家気質がある。気が短い。潔癖に近い清潔好きである。部下に非常に厳しい。果て無き向上心がある。

これ等は如何なる一流「職人」にも当てはまる条件だと思うが、特に現状に満足せず、「上には上が居る」と「上」に上ってからも思えなければ、一流の中の一流には為れない。

また古美術品の世界では、良く「『何も教えない』事が教育で有る」と聞くが、全ては師匠から「盗め」と云う事なのだろう…その点この作品は、「オヤジ」の技と思想を四半世紀に渡って隣で見て来た長男が、「すきやばし次郎」を近い将来「すきやばし禎一」(「店名」と云う意味では、勿論無い)として世に出す事を心から期待し、応援したくなる作品なので有った。

この作品を観た晩の夕食は、当然「鮨」以外は考えられず、此方で勝手に名を付け変えた近所の鮨屋「まんはったん次郎」(笑)にゲル妻と駆け込み、新鮮な握りを腹一杯貪り食べたと云う事だけ、最後に付け加えて置く。

そして食後の店からの請求額は、「すきやばし」よりは当然安かったが、それでも桂屋家の家計簿的には、十分「罪作りな」映画なので有った(笑)。