アジアへの挑戦。

今回の日本滞在最後の週末金曜日は、隣県へのプチ出張後、夜は大学の大先輩でも有る有力ディーラー氏と銀座で食事。

行ったのは、雑居ビルの中、表に看板も無い「K」。
見るからに頑固そうな、気に入らなければ客を追い返したり、たまに客を置いて帰って仕舞うと云う(笑)オヤジさんが1人で切り盛りしているこの店、嘗て文壇に愛された鮨の味も然る事ながら、やはりオヤジさんの「心」が素晴らしかった。

美味しい鮨の後は先輩に連れられ、祇園、北新地に続き銀座の夜を楽しみ、久々の「三都物語」制覇…この三都の夜の顔、街、店、女性も各地各々個性が有って、アメリカからの出稼ぎ者には大変人生勉強に為る(笑)。

そして昨日土曜日は休日出勤し、朝から某美術館でコレクターと会い、寄託して有る素晴らしいクオリティのコレクションを拝見。その後は雨の中、国立近代美術館工芸館に行き、現在開催中の展覧会「越境する日本人 工芸家が夢みたアジア 1910s-1945」を観た。
この展覧会は、大正から昭和初期に掛けて「工芸」の可能性とオリジンを求めて、国境を越えアジアへと向かった工芸家にスポットを当て、日本とアジアの近代に於ける関係性を考える企画で有る。

展覧は梅原龍三郎の作品とその画題と為った呉須赤絵や、浅川伯教のスケッチと李朝陶磁の関係から始まり、六角紫水と楽浪古墳出土の有紋漆盤、その他アジア古代工芸から影響を受けた、浜田庄司や黒田辰秋の作品等が展示される。

しかしその中でも特筆すべきは、前掲六角紫水の驚嘆すべき漆工作品群と、「この人は本当に天才なのだ」と改めて思った川喜田半泥子の陶磁器作品、そしてもう1つが伊藤順三に拠る、「満鉄ポスター」作品群だ。

大正モダニズムの情緒溢れる「京城三越」(!)の新館落成記念ポスターや、一寸アール・デコの「オリエント急行」を彷彿とさせる「南満州鉄道会社」のポスター等は、「欲しいっ!」と思わせる逸品で有った。
その後の夜は夜で、ミヅマ・アート・ギャラリーで開催中の展覧会、紫舟+チーム・ラボの「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」展レセプションへ。

書道家としての紫舟氏の産み出す漢字は、その字体に載せた感情や意識等の「情報」を伝える媒体としての「作品」なので、今回のチーム・ラボとのコラボは決して唐突なモノでは無い。
が、壁2面一杯に映し出された書の数々が、浮き上がっては滴り落下して行き、手を伸ばしてその書(漢字)に触れようとすると、書はその影に反応して姿を変え、例えば「鳥」ならば、羽根を広げた鳥のイメージと為り「木」に向かうと云った具合の、アジアを感じるヴィディオ・インスタレーションは、筆者には目新しい。

最新テクノロジーと、表意文字として「書」と云うアートに濾過された、漢字との出逢い…中々に興味深い展覧会で有った。

そして多くの人で賑わったレセプションでは、三潴氏と最近のアジアに於ける現代美術マーケットに就いて歓談。

中国本土での噴出する色々な問題、新しいマーケットとしてのシンガポール等、流石世界を飛び回って居られる氏の情報量とバイタリティーには驚くばかりだったが、昼間に1920年代にアジアに向かった日本工芸作家展を観たばかりだったので、話を聞いて居る内に思う事が有った。

時代は変わり、今は「作家」よりも「作品」がアジアに向かう。

つまり、嘗て日本に取って近代美術制作の為、文化のオリジンとして「輸入」されたアジアは、今や重要な現代美術の「輸出」先として存在すると云う事で有る。

経済の逆転現象は仕方無いが、「日本人」が再びアジアに向かう時期に来ているのではと、何と無く感じた1日と為った。

日本滞在も後3日で有る。