ホテル・カリフォルニア。

LAには、アプレーザルの仕事で来た。

朝早い飛行機でニューヨークを発つと、時差の関係でLAには午前中に着く。何時もならキャリー・バッグ1つの国内出張だが、この後日本に行く為に持った重いトランクが有ったので、預ける為ホテルへと急いだ。

ホテルに荷物を置いて、軽く昼食を取り、タクシーを拾うと、早速ビヴァリー・ヒルズの高台に在る、超高級住宅街の顧客宅へと向かう。

その間、ニコライと云うロシア系の運転手と、最近のロスの酷暑や「セレブ宅観光ツアー」の馬鹿馬鹿しさに就いて話をしていたのだが、ふと思い付いて彼に尋ねた。

「そう云えば、『ビヴァリー・ヒルズ・ホテル』は未だ営業しているのかな?」

ニコライは「勿論」と答え、「其処に泊まるのか?」と逆に尋ねられたが、その答えの代わりに「『イーグルス』の『ホテル・カリフォルニア』は凄い曲だな」と云っても、ニコライからは何の反応も帰って来なかった。

彼がイーグルスを、そして1976年のこの名曲を知らなくても、責める事は出来ない…あれからもう「36年」もの月日が経っているのだ。

況してや、その大ヒット・アルバム・ジャケットを飾った妖艶な「ホテル」が「ビヴァリー・ヒルズ・ホテル」で有る事、その見開きジャケットに並んだ写真の1つに「幽霊」が写って居る事等、ロスに来て10年足らずのキャブ・ドライヴァーには知る由も無い。

イーグルスは、ギターに元ジェイムズ・ギャングのジョー・ウォルシュを加え、通算5枚目と為ったこのアルバムを発表した。そしてこの「ホテル・カリフォルニア」を初めて聞いた時の衝撃と興奮は、当時中学生に為ったばかりだった私には計り知れなかった。

いや、正確にはこの曲を「初めて『観た』」のだが、それは此のダイアリーでも度々登場する当時の人気テレビ番組内のカウント・ダウン番組「Popteen Pops」で、この曲のPVを「観た」からで有る。

PVと云っても、当時のそれは只のライヴ映像だったのだが、しかし暗い画面にドン・ヘンリードン・フェルダーグレン・フライランディ・マイズナー、そしてジョー・ウォルシュのメンバーが、全員長髪で髭を蓄え、それ迄のヒット曲「Take it Easy」や名曲「Desperado(ならず者)」等のカントリー色の強い西海岸サウンドから、前作「One of These Nights(呪われた夜)」で垣間見せた「流れ」で有るハード化、謂わばより男臭く麻薬的で、よりセクシーで頽廃的、そしてより政治的で社会批判的な彼らを其処に観たのだ。

この「ホテル・カリフォルニア」と云う曲は、フェルダーのアコースティック12弦ギターとフライの6弦で始まる極めて「前兆」的なイントロや、高めのキーで歌われるヘンリーのハスキー・ヴォイスと意味深な歌詞、そして何と云っても

"You can check out any time you like, but you can never leave..."

とヘンリーが最期に歌い上げた直後から始まる、フェルダーとウォルシュのユニゾンを多用したギター・ソロに尽きる。

そしてこのロック史上に残る、ハードで極めてメモラブルな旋律と2人のギター・テクニックに代表される様に、「ホテル・カリフォルニア」と云う曲は、ウォルシュが加入した為にフェルダーが受けた「刺激」の賜物に相違無く、最期の最期迄聴く者の興奮を持続させる、当に「麻薬的」な曲なのだ。

そんな事を想いながら、私はニコライに一寸「寄り道」を頼んだ…未だ健在だと云う「ビヴァリー・ヒルズ・ホテル」を観たくなったので有る。

久し振りに観た「ホテル・カリフォルニア」は、その「ピンク・パレス」と云う俗称の通り、パルム・ツリーの合間に相変わらずその頽廃的な姿を見せていたが、まるで若い時に遊び過ぎた為に、人生に刺激を失ってしまった老人の様に、何処かうらびれて、乾いて見えた。

そしてニコライの運転する車は、完璧に暗記している「ホテル・カリフォルニア」の歌詞を、私が口ずさんで歌い終わらない内に、私を含めてその音楽分野に於けるファンがその名を聞けば卒倒しそうな、今は80歳を越える顧客の邸宅に着いていた。

スポーティーなベンツ等の車が3台並び、庭のプールが見える車寄せでニコライに別れを告げ、タクシーを降り呼び鈴を鳴らすと、内側から静かにドアが開き、私は中に招き入れられた。