「ザ・ダコタ」の未亡人。

素晴らしい気候のニューヨークに戻った。

毎回そうなのだが、長い間留守にした我が庵「地獄宮殿」のベルを押すのには勇気が要る。それはドア・ベルを鳴らして暫くすると、ドアを薄ーく開けて片目で此方を見、髪や髭が伸びたり太ったりして容貌の変わってしまった自分に、「何方様ですか?」とクサマヨイが尋ねるからだ。

「何だ、そんな事に『勇気』等必要無いでは無いか?」と思われるかも知れないが、この瞬間は長い外食続きの生活で容貌の変化してしまった自分自身と向き合う、恐怖の一瞬なので有る(笑)。

そんな恐怖に再び向き合った今回は、夕方便で有るANA1010便を使って帰って来たのだが、今日は先ず、その1010便で見つけたアートを「2つ」程紹介したい。1つ目はJ-POPから…久々にカッコ良い曲のPVを観たのだが、その曲とは加藤ミリヤ&清水翔太の「Love Story」。

この「Love Story」、筆者世代にはかなり懐かしい小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」をサンプリングに使った、謂わば「オマージュ・ソング」とでも呼ぶべき曲なのだが、原曲よりも遥かにオシャレで格好良く、曲・PV共に中々素晴らしく仕上がって居ると思う。そして、この2人の非常に優れた歌唱力は何ともグルーヴィーで、聴いている内に此方もノッて来て仕舞い、機内でジッと座って居るのに困った(笑)…是非一聴一見して頂きたい。

もう1つは映画「Side Effects」。本作は2013年度アメリカ映画、「セックスと嘘とビデオテープ」「トラフィック」(アカデミー監督賞受賞)のスティーヴン・ソダバーグ監督の新作で有る。

主演はジュード・ロウと「ドラゴン・タトゥ」のルーニー・マーラ、そしてキャサリン・ゼダ・ジョーンズで、新薬の副作用とインサイダー取引、それに絡む殺人と法廷取引が描かれるサイコ・スリラー。その役者達の中でも何しろマーラが魅力的で、この女優、「ドラゴン・タトゥ」の時も決して美人では無い癖に、そこはかとなく可愛くセクシーだったが、本作でも余す所無くその魅力を見せ付けている…此方もお奨めの一作だ。

さて、今日の本題。マンハッタンはセントラル・パーク・ウエストに在る、「ザ・ダコタ」をご存知だろうか?

一般の方には、「ダコタ・ハウス」と云った方が通りが良いかも知れないし、嘗てあのジョン・レノンが住んでいて、1980年12月8日にその門の前で射殺された事で知られるアパートメントだと云えば、「あぁ!」と思い出す人も居るだろう。

「ザ・ダコタ」は、1880年にシンガー・ミシンのファウンダー、エド・クラークが、後に「ザ・プラザ」(ホテル)の建設でもコンビを組んだヘンリー・ハーデンバーフに設計を依頼し、4年後に竣工された、マンハッタンで2番目に古いアパートメントだ。

今では「NRHP(National Register of Historic Places:アメリカ合衆国国家歴史登録財)」と「NHL(National Historic Landmarks:アメリカ合衆国国定歴史建造物)」に指定されて居るが、このアパートメントは今でも「Co-op」で、コンドミニアムの様に外国からの投資目的で買ったり出来ず、入居に際しても住民役員達の厳重な審査が有る。

因みに筆者の住むアパートメントも「Co-op」で、住人の事を「share holders」と呼ぶのだが、これは住人達が建物自体を会社組織化して管理し、その財産価値を守る為に、アパートの占有面積の比率で管理費を払うと云う事に為って居るからだが、この「ザ・ダコタ」はその際たる物で、役員会に入居を断られたセレブも数知れず…却下された中には、ビリー・ジョエルやマドンナ、ヤンキースアレックス・ロドリゲス等も居ると云う。

さて先日、そんな「ザ・ダコタ」に1人の老婦人を訪ねた。

かなり天井の高い、老夫人のその部屋は東側に面し、窓から見下ろすセントラル・パークの緑が余りにも美しい。そんな彼女の部屋は、国吉康雄と同時代にアメリカに渡った或る日本人画家の絵画作品で飾られ、調度品も如何にも「ザ・ダコタ」の雰囲気に合った物で充たされて居るが、何処と無く淋しく感じるのは、1年前迄は2人で過ごしていたその広い空間が、今ではたった1人と犬だけの物に為ってしまったからなのかも知れない。

何処と無く霧の懸かった様な部屋で老婦人の持つ美術品を拝見したが、その合間、足元に戯れ付く犬を気にしつつも静かにお茶を飲みながら、筆者は最も聞きたかった事を老婦人に尋ねた…どうして彼女がこの「ザ・ダコタ」に住む様になったか、で有る。

老婦人は、言葉の一つ一つを噛み締める様にこう答えた。

「50年前の在る日、突然私は『この侭日本に居て、一生四畳半や六畳の家に住むのは嫌だ』と本気で思った…。それでどうしても外国に行きたかったんだけど、その頃田舎の女の子が外国に行ける唯一の手段は、スチュワーデスに為る事だったのよ…」

スチュワーデスに為って外国に行く様に為り、其処で裕福な外国人と出逢い結婚して、「ザ・ダコタ」に住む…こう書いてしまうと「如何にも」と聞こえて仕舞うかも知れないが、50年前にそんな人生を決意をした日本人女性は本当に数少ないに違いないし、その「勇気」と「決心」は称えるに余り有る。

また老婦人は「昔の自分」を思ってか、数年前から理科系の日本人留学生に対する奨学金制度を始めた。このグラントは、年間300万円を数年間与えると云う極めてジェネラスな物なのだが、驚くべき事にこのグラントに応募する日本人が数年間皆無だったそうで、仕方無くグラントの対象者を、亡き夫の出た非常に優秀で有名な「S大学のビジネス・スクールに通う日本人」に変更したらしい。

が、今度は何と、S大のビジネス・スクールに通う日本人が「ゼロ」なのだと云う…その事に対する老婦人の憤りは大変な物で、昨今の日本の若者の冒険心と勇気の無さ、そして行動力の欠如を、お互いに嘆き合った。

その後も、セントラル・パークを臨む大きな窓を背にした婦人との会話は続いたが、椅子に座った彼女の小さな体は、窓から入る強い陽の光に呑み込まれてぼやけたシルエットと為り、その「影」は何処かディケンズの原作を映画化した大好きな映画、「大いなる遺産」でのアン・バンクロフトを私に思い出させながら、その「影」が話す「過去」は、私を「ザ・ダコタ」の持つゴシック的世界へと誘った。

時が経ち、老婦人に別れを告げると、帰りはエレベーターを使わずに階段で下に降りてみた。

その途中、素晴らしい彫りの味の有る手摺や、見事な壁の装飾等に眼を奪われ続けたが、それ等はこの「ザ・ダコタ」の建築物としての歴史を感じさせると共に、居住者の歴史、いや此処に住む事を許された数少ない「幸運な」人々の過去を感じさせる。

そしてその「幸運」とは即ち「勇気」の証しで有り、この日会った「ザ・ダコタ」に住む日本国籍の未亡人の「勇気」を象徴しているかの様に思えて為らなかった。

数階分の階段を降り切り、観音開きの木のドアを開けて外に出ると、今迄自分が居た筈の部屋を見上げながら、「何時の日か『ザ・ダコタ』の住人に為りたい」と真剣に思った…が、今からそう為る「勇気」が自分に本当に有るかどうかは、正直定かでは無い。

「ザ・ダコタ」とは、そう云う場所なので有る。


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