「具体」の精神。

先週来日した日の事、神保町の家の「宅配ボックス」に荷物が届いていた。

何だろうと見てみると、それは森美術館からの大きな厚い封筒で、その表の赤枠には「限定エディション作品在中」と有る…おぉ、来ていたか!

それは、今年11月17日から森美術館で始まる(〜来年3月31日迄)、「会田誠展:天才でごめんなさい」のサポート・プロジェクトで有る「平成勧進プロジェクト」(→http://www.mori.art.museum)のサポーター特典、エディション1500の限定プリント作品「Jumble of 100 Flowers:エスキース」と、展覧会の招待券で有った。

この「Jumble of 100 Flowers:エスキース」は、本展覧会で発表展示される本画の習作との事だが、青バックに「会田感」溢れる全裸の女の子2人が、まるで青春の1ページの様に(笑)笑いながら走っているが、左側の子は海豹の様な奇妙な動物を抱き抱え、片や右側の子の微笑む左頭部は吹っ飛び、其処からはイチゴが花びらの様に飛び出して居る…会田誠以外に、誰がこんな絵を描けようか!?

いやはや、全く以て展覧会を待ち遠しくさせる作品だ!

さて、クサマヨイの実家での短い休暇も終わり、時差ボケの侭そろそろと仕事を始めたのだが、顧客に会う合間を縫って、国立新美術館で開催中の「『具体』ニッポンの前衛 18年の軌跡」を観て来た。

「具体」と聞いて思い出すアーティストと云えば、先ずは吉原治良、そして白髪一雄、田中敦子村上三郎元永定正、金山明位が筆者の拙い知識では精一杯。

だが、この展覧会の素晴らしい所は、上記以外の「具体」作家の貴重な作品を観る事の出来る稀有な機会で有ると云う事と、そしてそのたった18年間の活動を結成時から40年前の解散に至る迄、時系列的に追跡出来る事に有るので、「具体」を初めて体験する人々にも十分に楽しめ、日本の前衛の黎明期の重要な一時代を学べるだろう。

そして村上三郎の再制作「入口」から始まる、本展の名品の数々。

金山明「作品」(1954:都現美)、吉田稔郎「作品」2点(1955:共に芦屋市美)、元永定正「作品」(1957:個人蔵)や「タピエ氏」(1958:兵庫県美)、田中敦子「電気服」(1956:1986年再制作:高松市美)、白髪一雄「超現代三番叟」(1957:1986年再制作:兵庫県美)や「天暴星両頭蛇」(1962:京都国立近美)、ヨシダミノル「Bisexual Flower」(1970:個人蔵)、そして吉原治良「黒地に赤い円」(1965:兵庫県美)。

さて、これ等当時としては余りにアヴァンガルドな作品を産み出した、「具体」の、そしてその指導的立場に居た吉原治良の「精神」とは、

「人のまねをするな」
「これまで無かった物を創れ」

で有る。

この展覧会を観ると、その「『精神』の作品化」の困難さを感じない訳には行かないし、その意味に措ける成功作を今回の展示作品中に見つける機会も、稀かも知れない。

が、逆に、そもそも「その『精神』」が無い作品は、作品化の成果がどうあれ、創作の時点でもう「現代美術」と呼ぶ事は出来ない。

その意味で、「具体」の「精神」は確実に会田誠と云う作家に引き継がれ、その作品は、現代美術としての必須条件で有る吉原の云う「『精神』の作品化」を、当に実践している好例と云えるのでは無いだろうか。
「天才でごめんなさい」…このキャッチ・フレーズは、強ち冗談等では無い。

そして筆者は、「天才」に拠る11月の展覧会を、心待ちにしている。