「いかさま」と「死に場所」。

日本に着いた。

今回は、最近ANAが始めたニューヨーク〜東京1日2便運航の、新しい夕方便NH1009便(16:55JFK発→翌日21:05成田着)を使ってみたのだが、此れが中々宜しい。

運航を始めたばかりだからかも知れないが、この便のビジネス・クラスは結構空いていて、キャビン・アテンダントに聞くと、エコノミーも半分程の乗客だと云う。

何が良いかと云うと、空いて居るので食事も早く出て来るし、夜便の為食事が終わると機内が暗くなるのも早い。

そして、そもそも機内で眠れない筆者は、所謂「夕食後の眠気」を利用して、何と3時間も眠る事が出来たのだ!

15分程早く着いたが、イミグレーションや税関も列は皆無、しかも今ビジネス・クラスのキャンペーン中で、成田から家迄乗り合いで無いハイヤーが付くのだから止められ無い…高速も至って順調で、10時過ぎにはアッという間に神保町着。
機内で眠れる人は、家に帰ってから眠れないかも知れないが、筆者は荷ほどきもそこそこにダウンしてしまい、翌朝は6時前に起床…"Not bad at all"で有った。

さて今回のダイアリーは、その機内で観た2本の映画に就いて。

先ず1本目は、スペイン人監督ロドリゴ・コルテス監督2012年度作品、シリアン・マーフィー、ロバート・デ・ニーロ主演のサイコ・サスペンス、「Red Lights」。

この作品は、謂わばアメリカ版「大槻教授」対「清田少年」(笑)的なストーリーで、デ・ニーロ扮するカムバックした超能力者と、世の「いかさま」サイキックを見破り糾弾する事を生き甲斐とする、シガニー・ウィーバー扮する大学教授とその助手シリアン・マーフィーとの対決を描く。

サスペンス・タッチの作風は中々見応えが有り、「いかさま」のトリックやその暴き方は筆者には新鮮で、「そうだったのか!」的な事が盛り沢山だったが、例えば、何十年も植物人間化している息子を持つウィーバーの、息子を逝かせない理由を聞かれたの台詞、「私が死後の世界や超常現象を信じられたら、とっくに息子を逝かせて居る」と云った、一般的な意味でも極めて哲学的、且つ示唆的な台詞がちりばめられて居るのも一興だ。

皆様に措かれましては、或る状況に於いて「『いかさま』では無いか?」と云う疑問を持った場合には、「その前提自体を疑う」事を強くお勧めしたいが、何事でも押し付けられた「前提」には、懐疑的にならねば、と自戒の念を新たにした作品でも有った。

そして2本目は、黒澤明監督1975年度アカデミー外国語映画賞受賞作の「デルス・ウザーラ」。ソビエト・日本合作のこの作品を観るのは、人生3回目で有る。

黒澤作品の中でも異色と云える本作だが、例えロシア人が演じていたとしても、如何にも黒澤好みの役者が選ばれていて、政府の開拓地図隊長を三船敏郎、猟師デルスは志村喬がやっても全く可笑しく無い程、「黒澤映画」と為っているのがスゴい。

若い人に取っては生まれた時から「ロシア」だろうが、筆者に取っての「ソビエト連邦」のイメージは、長い間、ブレジネフ書記長、グロムイコ外相、シベリア、KGB戦艦ポチョムキンレニングラード等、或る意味「秘密と恐怖」の国で有った。

そのソビエトに於ける計画経済下での環境破壊や、物文明と原始的生活の葛藤を描く本作は、今日本でも一部で話題に為っている「縄文文化思想」を地で行くデルスが発する数々の言葉に因って、現代人に強い警告を与える。

そのデルスの言葉は、一向にフィックス出来ない原発を持ちながら、「活断層の有無で意見が別れている」等と言い訳をして、大飯の原発稼働を「電気需要の多い夏迄」と云う約束を反故にしている「関電」等には、さぞ耳に痛い物と為る筈だろう。

そして本作ラストのデルスの死は、「日本人の死」に他ならない。

人の人生を狂わす可能性の有る超能力の「いかさま」も許せないが、国民総てを騙す国家の「いかさま」と呼ぶべき原発と云う「無用な文明」は、人間に死に場所すら選ばせないのだ。
決して日本人をデルスにしてはならない。