「右」と云う言葉を、君はどう説明するか?

ダウが再び史上最高値を付けた、ニューヨークへと戻って来た。

此方の気温は30度前後だが何しろ湿気が無く、これで時差ボケさえ無ければ天国なのだが、世の中そう上手くは行かない(涙)。

そしてオフィスでは、早速カタログ作業が開始。今度のセールは9月18日だが、埴輪から宗教彫刻、屏風や浮世絵、鎧、焼物や明治美術迄名品が揃って居て、数もそうだが価格も高いモノが多い。詳しくは追って此処で「スニーク・プレヴュー」をお届けするが、かなり重要な作品も含まれているので、カタログの方も気が抜けない…頑張らねば!

そんな中、日本に行っている間に届いて居た、漫画「テルマエ・ロマエ」最終巻を早速読む。最期は一寸吃驚のハッピー・エンドだったが、流石原作者のヤマザキさん、女性ならではのロマンティックなモノでした!

この「テルマエ・ロマエ」、今週から始まったジャパン・ソサエティの「Japan Cuts」でも映画版(拙ダイアリー:「全ての道は羅馬に通ず」参照)が全米プレミアとして公開だそうだから、未だ観ていない人は日本と古代イタリアの「風呂」文化交流を、大至急経験して頂きたい…笑えますよ〜。

さて、此処からが今日の本題。

貴方は「右」と云う言葉を知らない人に、「右」と云う言葉の意味をどう説明するだろうか?…この様な日本語の「説明」を当に生業としているのが、国語辞典の編集者達で有る。

今回の帰米便ANA1010便の機内で観た映画「舟を編む」は、そんな辞書編集者の話なのだが、何とも心温まるストーリーと共に、今は失われつつ有る日本人的職業の本質を見る事の出来る秀作で有った(此方もJSの「Japan Cuts」に入っているので、是非)。

本作は雑誌「CLASSY」で連載された、三浦しをんの2011年刊行の原作を元に、石井裕也監督(満島ひかりの旦那)が映画化した、本年度公開作品。辞書編集部にヘッドハントされる主人公、変人編集者馬締(マジメ)に松田龍平、馬締が恋をする大家の孫娘に宮崎あおい、昔懐かしい昭和な下宿を営む大家の婆さんには渡辺美佐子、先輩辞書編集者に小林薫オダギリジョー、馬締達が取り組む新大辞典「大渡海」の監修をする老学者に加藤剛、と云った個性的な顔触れの配役で有る。

この「大渡海」と云う辞書の名の由来は「辞書は言葉の海を渡る舟」、そして編集者は「その海を渡る舟を編んで行く」との意味でこの作品タイトルと為って居る訳だが、本作を観ると、その名の如く辞書編集という仕事が「大海を小舟で行き、一漕ぎ一漕ぎを以てして大海を渡り切る」と云う、筆者の様な根性の無い一般人に取っては気の遠く為る程の長さの、完成迄の年月と付き合う根気強さ(何と15年掛かる!)、そして地道さと正確さとが要求される「職人」仕事で有る事が良く判る。

その上辞書編集者は、日夜「用例採集」を行い、他の辞書とは違った「語釈」を考えねばならない。それは「死語」と為った言葉や意味の変わってしまった言葉、誤用されて居る言葉や、若者達や新しいテクノロジーから生まれる新しい言葉が存在すると云う事実からも判る様に、言葉が正に生きて居る事の証で有って、その証を編集者達は「未来」を見据えた上で編んで行かねば為らない。

そして、この様な仕事を全うするのに必要な、且つ本作で観せられる何よりも「美しい」物とは、最近忘れられがちな「仕事への情熱」と、この仕事は自分にしか出来ないとの「自負」だろう!

或る仕事を好きに為ったり、況してやその仕事に人生を賭ける意義を見出したり出来る人は、実に幸運で有る。だが人は満足不満足を問わず、何れにせよ「自分の今居る環境」を受け入れねば為らないのだから、或る意味其の環境を「愉しまねば損」とも云える。

然し、其の「今居る環境」がどうしても受け入れられないのならば、早急に自分の本能(どうしてもしたい事)を見極めて、自分の望む環境に己を持って行くしかない。こんな簡単な論理すら最近の日本の若者には中々分からないらしいのだが、これが「自負」と云う物で、この仕事に対する「自負」こそが、良い意味での日本の伝統的「職人気質」と呼ばれるモノだからだ。

この作品では、そんな「職人」編集者を松田や小林が良く演じて居るが、実はオダギリジョーがその中でも可成り巧くて、オダギリの現代的な役柄の名演に因って、この作品は単調な暗い感じを免れて、軽妙で明るく、ユーモアタップリな雰囲気を保てて居るのだと思う。

また、馬締の住む昭和な下宿「早雲荘」が何とも良い味…其処に有る手巻きの柱時計、本に囲まれた廊下や部屋は、筆者が子供の頃父の書斎や書庫で遊んだ過去を思い出させたが、あの匂いや埃っぽさ、本に囲まれながら本を捲って読む歓びは(劇中、辞書の紙の「手触り」の話が出て来て、つい嬉しくなった!)、電子書籍や電子辞書の普及に拠ってどんどん失くなって行くに違いないと思うと、一抹の寂しさを禁じ得ない。

そんな本作品中、辞書編集者の適性を見る場面や編集会議の場面中で、今日筆者がダイアリー・タイトルにした設問が出て来る。

「右」と云う言葉を、君はどう説明するか?

是非皆さんにも考えて頂きたいが、その解答例は以下の通り。

1. 西を向いた時、北の位置に在る側の事。
2. アナログ時計の文字盤を見た時の、1時から5時の方向の事。

そして劇中、加藤剛扮する老学者が唱えたのが、「数字の『10』を書いた時の『0』の方」と云う物だったが、因みに筆者が考えたのは、

天皇皇后両陛下が並んでお立ちに為る時に、天皇陛下が立たれる側の事」

オッと、一寸「『右』寄り」過ぎたか…(笑)。