無事是好年。

大島渚監督が亡くなった…享年80歳。

大島監督の訃報に感慨が有るのは、今偶々「若松孝二全発言」(河出書房新社)と云う本を読んでいて、その中で若松が、大島に関して幾つかの発言をしているからかも知れない。

大島渚と聞いて筆者が思い出すのは、先ずはリアルタイムで観た初めての作品「戦メリ」、大学時代に遡って観た「青春残酷物語」、「白昼の通り魔」や「儀式」、そして「美し過ぎる奥さん」小山明子…が、何と云っても「愛のコリーダ」だ!

若松が製作に名を連ねる本作に就いては此処で多くを記さないが、恐らくは海外資本で作られた最初の日本映画だと云う事(間違っていたら、教えて下さい)、そして猥褻問題等の数々の問題を呈した「闘う」フィルムだが、フランス語を学んでいた筆者には、フランス語のタイトル「L'Empire de Sens」が、バルトの有名な著作「L'Empire de Signes」(表徴の帝国)から取られているに拘らず、何故日本のタイトルが「愛のコリーダ」なのか、当時不思議で有った(今以て分からん…何故だ?)。

またその昔、某女性との「初めてのデート」の最中、最初のデートで有りがちな「今迄観た映画の中で、1番好きな映画は何?」との質問を彼女にした時の答えが、「愛のコリーダ」だった時の驚愕も忘れられない(笑)。

そして「その一言」を以ってハートを鷲掴みにされ、その後その女性とはお付き合いをした訳だから、大島監督には感謝をしてもし切れない(笑)…そんな感謝をしつつ、大島渚と云う稀代の「闘うフィルム・メーカー」のご冥福をお祈りしたい。

映画繋がりに為るが、日曜日の夜、「第70回ゴールデン・グローブ賞」の授賞式をテレビで観た。

作品賞と監督賞には「アルゴ」(&「レ・ミゼラブル」)とその監督ベン・アッフレック、主演俳優賞はダニエル・デル・ルイスと(我らが)ジェシカ・チャスティン(ドラマ部門)、ヒュー・ジャックマンジェニファー・ローレンス(コメディ・ミュージカル部門)がそれぞれ受賞。

結果だけ見ると「クリティック・チョイス」と略同じ結果で、正直余り面白く無かったが、番組中に意外な事が2つ有った。

それは先ずは、脚本賞タランティーノが選ばれた事。本人も本当に意外だったらしく興奮して居て、見ている此方も嬉しくなった程だった。そして2つ目は、何とX-JapanYOSHIKIが「ほんの、ほんの、ほんの一寸だけ」(笑)、舞台に出て来た事だ。

彼は、このゴールデン・グローブ賞の(番組の)「音楽」を担当しているそうなのだが、受賞者でもプレゼンターでも無く、何とも訳の分からない形で15秒程出て来た…テレビでは一応名前も呼ばれていたが、一体あれは何だったんだろう?

映画賞レースも酣…これから「SAG」、そしてアカデミー賞と続くが、アカデミーはゴールデン・グローブと受賞者が異なる事が多いので、未だ未だ目が離せない。

さて、東京は大雪だったそうだが、昨日は何と13度も有ったニューヨーク。

未だ時差ボケに悩まされて居る為に体調が悪く、夕方から夜に掛けて偶に意識を失いそうに為っていた先週末は、クサマヨイと2つのイヴェントに参加。

先ずはジャパン・ソサエティで開催された、「15th Comtemporary Dance Showcase」。今回は台湾から「Anarchy Dance Theatre」、日本から「東京ERECTROCK STAIRS」「遠田誠 & 向雲太郎」「モノクロームサーカス」の計4組の個性的な面々が揃った。

そして略満員の会場で観たこれらのステージの中で、個人的に一番印象に残ったのは「遠田 & 向」の作品「蜜室」!

この作品は、去年世田谷パブリック・シアターで公演された物のショート・ヴァージョンらしいのだが、何気無い日常に非日常的なダンスを持ち込む「まことクラヴ」の世界に、向の「大駱駝艦」な舞踏感が入って溶け込み、さもすればミニマルに為り過ぎたり、ミュージカルの様に歌に合わせて踊り、その身体能力のみを見せつける様な昨今のコンテンポラリー・ダンスが多い中で、本作品はそこはかない可笑しさと不条理感が溢れた、不思議な魅力の有る作品で有った。

終演後はレセプションにて、若かりし頃一緒に踊った事も有ると云うクサマヨイにそのお2人を紹介をして貰い、その後偶々観に来ていた山崎広太氏とも談笑。

しかし、天児牛大氏や勅使川原三郎氏とお会いした時も思ったのだが、舞台上ではあれだけ大きく見えた優秀なダンサー達は、ステージを降りて会うと必ず思ったよりも細く、小柄だ…如何に舞台で身体を大きく使って踊っているかが良く分かるが、それにしてもそのギャップに何時も驚く。人間の身体とは、それが存在する場所や見せ方に因って、その大きさが全くと云って良い程変化するのだ。

そして2つ目のイヴェントは、ニューヨーク裏千家出張所の「初釜」で有った。

昨年は父の急逝の為に出席出来なかったので、初釜は筆者に取っては2年振りと為った訳だが、新年に馴染みの顔が集まり一服のお茶を頂くのは、何とも云えぬ清新な感じがする物で有る。

正客のアメリカ人茶人D氏夫妻を始め、各分野の方々が集まった今年初めての茶席…炭手前が終わり、呈された点心のお弁当を頂き終えると、濃茶の主菓子として牛蒡の入った「葩餅」(はなびらもち)が出て来る。

さてこの「葩餅」…お菓子なのに、何故牛蒡が入っているのかご存知だろうか?

通称「花びら餅」は、元来その原型を「菱葩」(ひしはなびら)と云う…そしてその「菱葩」は、平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化した物で、謂わば宮廷の「御節料理」の一つなのだが、そもそも「歯固めの儀式」は、押鮎の様な固い物を食べる事に因って齢(よわい)を固めると云う、長寿を願う風習で有った様だ。

が、何事も時を経て次第に簡略化され、餅に食品を包んで宮中に配る様に為ると、丸く平らにした白餅に、赤い小豆汁で染めた菱形の餅を薄く作って上に重ね、柔らかくした袱紗牛蒡を2本置いて、鮎に見立てる様に為ったらしい。

因みに鮎は「年魚」とも書き、年始に用いられた。押年魚はその尾頭を切っ取ったもので、古くは元旦に供えられたらしく(貫之の「土佐日記」にも記述が有る)、またその周りを包んで居たのも初めはつき餅だったが、こちらも簡略化され、最近は求肥を使う。

また、「茶菓」としてこの求肥白味噌と袱紗牛蒡を巻いたのは、裏千家十一世玄々斎が禁裏より許しを得ての考案で有るとの説が有るが、筆者はその確証を得て居ない。

そんな葩餅を頂くと中立と為り、愈々濃茶が呈される。

釜からの松風のみが聞こえる茶室は、穏やかな雰囲気に包まれ、そして練れた濃茶を一口含んだ正客D氏の、「オイシイ」の一言!…D氏のこの言葉を聞くと、何故か「あぁ、ニューヨークのお茶の世界も新年を迎えたなぁ…」と思うのだ(笑)。

その後は、今年の干支を象った干菓子と薄茶が呈され、今年の初釜も和やかに終了。

帰り掛けに再び眼をやった床には、正月飾りと共に鵬雲斎大宗匠の「無事是好年」の軸が掛かり、去年余りに色々な事が有った筆者が体得した、「無事」で有る事の貴重さと重要さを再確認させてくれた。

皆さんの一年が、どうか「無事」で有ります様に…と祈りながら、筆者は今から再び日本へと旅立つ。


ー筆者に拠るレクチャーの開催告知ー

日時:2013年2月9日(土)午後3時半-5時
場所:朝日カルチャーセンター新宿
講演タイトル:「渋谷の『白隠』と海を渡った『白隠』」
講座サイト:http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=188251&userflg=0
展覧会サイト:http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html

奮ってご参加下さい!