「近代宗教」が生んだアートを考える。

未だ最低気温が零下のニューヨーク…風邪も長引く最近、愕然としたニュースが4つ有る。

第1に「ホセ」が再び居なくなってしまった事…前回のダイアリーで「ホセの帰還」に就いて歓んで居たのに、たった2日でまた忽然と姿を消してしまったのだ(涙)。そして第2には、サモア航空が「体重」に拠って航空運賃を決め始めた事だ!

この措置、デブの多いサモアならいざ知らず、アメリカの航空会社がこのシステムを適用し始めたら堪らない。経費削減の為にダイエットを強要されるわ、平均体重の軽い女性や子供を出張に行かせる事が増えるわで、筆者等は真っ先にお払い箱にされるだろう…ふざけるなっ!断固反対である!(笑)

続く第3は、子供の頃からご近所の「山の上ホテル」が火事に為った事で、「神田やぶ」に続く大ショック…将門様がお怒りか?とも思うが、「ぼたん」「いせ源」「まつや」「たけむら」「神田川」「はちまき」等の近所の老舗美味い処(と、その古い建物)が、これからも無事で有る事を将門様に祈念して置く…って云うか、延焼するとウチが困りますから!

そして第4に、福島第一の地下貯水槽から汚染水が漏れて居る事だ。

何度も云うが、オリンピック東京招致を応援する程の金が国に有るなら、先ずは福島第一をフィックスする事に使い、人的応援をすべきでは無いのか?そして一刻も早く、数十トンにも及ぶ汚染水の垂れ流しを止めなければ為らない。

聞く処に拠ると、現場で命を削って事故処理活動に従事する労働者の月給は、20万円足らずだと云う…それに引き換え、東電社員の給料は推して知るべし、況してや招致に掛かる金は、で有ろう。今度はマジの「ふざけるなっ!」で有る。

さて4月に入り、何と無くオフィスも大人しく為ったが、寒さは続き、オフィスは風邪引きで一杯…筆者もその恐るべき余波を受け、一度は直った風邪がぶり返した上に、既に9月オークション出品作の査定やアプレーザルが舞い込んで来て居るので、中々休めない。

そんな中、水曜日はダウンタウンで開かれた「Affordable Art Fair」のオープニングに。

風邪気味なのに寒風吹き荒ぶ中、VIPパスを持ってクサマヨイと開場の時間に18丁目の会場に行ったにも関わらず、物凄い人出に辟易する…あれでは「VIP」もヘッタクレも無い。そして、大混雑の中無理矢理観たアートも、こう云っちゃあ何だがレヴェルが低く、興味をそそる作品も皆無で再びガックリ…早々と引き上げ、家で暖かい野菜スープを啜る事にした。

翌日は、同居人P王子が祖国に帰省中のA姫が地獄宮殿に足を運ばれての家ディナー、そして昨日金曜は、友人のミュージシャンMさんのバースデー・パーティー@Cafe China!

Mさんの彼氏のH、Mさんが所属していたメジャー・ロック・バンド「C」のメンバーYさんや大物2世ミュージシャンのS、作曲家のAちゃん&アーティストSカップル、イタリア人プロデューサーのS等、国籍豊かな総勢12人でお祝いしたバースデー・ディナーは、食べも食べたりの大満足…誠に楽しい一夜でした!

そして今日の本題…フランシス・ベーコンを特集した「BT」最新号が手元に届いた。

「人生最大のピンチ」だったロンドン研修生時代以来、20年来の熱烈なベーコン・ファンとしては、ベーコンに就いての特集はさて置き(拙ダイアリー:「"Scrambled" Bacon@MET」参照:METでの大回顧展から、もう4年も経つのか…)、実は今号に興味深い記事が1つ有って、それは椹木野衣氏に拠る「月評第55回:王仁三郎ー『芸術は宗教の母なり』」で有る。

さて「大本(おほもと)」…この名前を聞いて、亀岡と綾部を拠点とする神道新興宗教と直ぐに判る人が、今何れ位居るだろう?何を隠そう、筆者の父の実家が嘗て熱心な「大本」の信者で有り、筆者も子供の頃「三代様」に何度も会った事を覚えているが、最近その活動を余り聞かない。

「大本」は霊能者出口なお明治25年に神憑りと為り、女婿の出口王仁三郎と共に教団を発展させたが、戦前政府に拠って2度の弾圧を受け、ー時期壊滅的打撃を受ける。だが昭和27年に、自身も作陶をした「三代様」こと出口直日が教主を継ぐと、国際部が日本文化を学びに来る留学生等への援助を行ったりして(日本文化研究者アレックス・カーや、グッゲンハイム学芸員のアレクサンドラ・モンローも)、文化的活動も盛んに為る。

この「大本」から「世界救世教」(箱根美術館・MOA美術館)が生まれ、その「世界救世教」から「神慈秀明会」(MIHO MUSEUM)が生まれた事を考えれば、その根本に在る強い美術的素養も理解出来ると思うが、この「大本」に於いては、信者に茶道や能楽を推奨したり、魯山人、金重陶陽・素山兄弟や石黒宗麿等の陶芸家との深い関係からも分かる様に、美術品の「蒐集」よりも「生み出す」事の方に重きを置いた様に筆者には思われる。

椹木氏に拠って詳しく書かれて居る様に、その「大本」の大立役者出口王仁三郎の芸術、特に「燿盌」と呼ばれる楽茶碗は、日本人離れした抽象絵画的色彩感覚(五彩)と形成が独特で、海外での評価も高い。嘗て王仁三郎の陶芸は今泉篤男に、そして出口直日(「壺中居」で展覧会も)のそれは白洲正子に絶賛されたが、成る程当時としてはかなりコンテンポラリーな作品だったに違い無い。

云う迄も無いが、仏教美術神道美術を始めとして、歴史的に日本に於ける宗教と芸術の関係性は強い。

ただ近代に為って新興宗教が興き、上記以外にも例えば崇教真光の「光記念館」、平等大慧会の「海の見える杜美術館」、創価学会の「東京富士美術館」等の様に、その関係性が「蒐集」に傾倒した事を考えると、出口王仁三郎と云う神憑り的コンテンポラリー・アーティストを擁し、アートを「生み出す」事を試みた「大本」は、その中でも特殊な地位を占めているのでは無いだろうか。

無宗教の筆者の周りにも、「新興宗教」と聞くとアレルギーを起こす人が居るが、何処の世界にも「良い物」と「悪い物」が有るだろう…そして、「新興宗教」自体を一種の「近代思想的創造力の産物」と考えれば、カリズマティックな王仁三郎の芸術も、椹木氏の云う様に、戦後日本美術史の中で今一度見直す必要が有るのかも知れない。