「『偶然』の画家」フランシス・ベイコンに関する覚書。

たった一週間前に、1ヶ月に及ぶ出張を終えて来たのに、未だ時差ボケの強く残る身体を引き摺って、今日サンフランシスコにやって来た。

何を隠そう、今回も「ニューアークからのユナイテッド便」だったので、悪夢の再現だけは勘弁と思って居たのだが(拙ダイアリー:「それでもロンドンがお好きですか?」参照)、歴史は繰り返すとは良く云った物だ…。

ゲートに着いた時に「定刻」だった出発時刻は、気が付けば当然の様に「30分遅れ」と為り、然し何とか40分遅れで乗り込むと、久々の週末もロンドンからの急なアプレーザルの依頼に潰された疲労困憊の筆者は、機体がサテライトを離れると直ぐに深い眠りに落ちた。

そしてハッと目覚め時計を見ると、既に1時間が経過して居たのだが、隣の気の良いオジサンに「オハヨウ、でも未だ地上だよ…」と云われ、「『デジャ・ヴ』か…クォラァ⁉」(上記ダイアリー再参照)と憤りつつも何とか飛び立ったが、不運はそれだけでは終わらず、乗った機材が何と唯の1つもテレビ・モニターが付いて居ないと云う、今時珍し過ぎる物だった為に当然映画も無く、サンフランシスコ迄の6時間は仮眠を繰り返す事と、最近再読して居たフランシス・ベイコンの対談を読む事に費やされた。

なので、今日はその畿内で再読了したミシェル・アルシャンポー著、五十嵐賢一訳の「フランシス・ベイコン 対談」(1998年:三元社)から、筆者が気に為ったり共感したりした、ベイコンの言葉を書き留めて置こうと思う(今日のダイアリーでは、翻訳者に敬意を込めて「ベイコン」と表記する事にする。発音表記もこっちの方が正しいし…)。

この対談は、1991年10月から翌1992年4月に掛けての3回、ロンドンはサウス・ケンジントンに在ったベイコンのステュディオで著者とベイコンの間で「フランス語」で交わされた。そもそも著者アルシャンポーをベイコンに紹介したのはピエール・ブーレーズだったそうで、ベイコンの最期迄友人で有ったアルシャンポーとベイコンの間には、美術のみならず映画や音楽に関する言質も多く楽しめる。

また対談中に出て来る人物も多様で、エイゼンシュタインブニュエルアラン・レネゴダール映画作家達や、ベラスケスやピカソレンブラントやスーラ、ウォーホルやジャコメッティのアーティスト、シェイクスピアフロイトワーグナーマリア・カラス等の音楽家迄、ベイコンが敬愛する芸術家達(クレー等敬愛しない者も)が登場する。

さて、それではそろそろ「名言集」を始めよう。

⚫「(映画の)イメージが脳髄に入る。でもその後で、それがどう同化され消化されるか、知る由もないんだ。イメージは変形される。でも、それだってどう変形されるのか、皆目分かりやしない。」

⚫(貴方はインテリア・デザイナーだったとか?と云う質問に対して)「そう。でも僕はそいつ(インテリア・デザイナー)が大嫌いなんだ。ある意味では装飾と云うのは絵とは反対の物で、絵のアンチテーゼだからね。それに、装飾を目指す様な絵は大嫌いだし。」

⚫「人が僕の作品をどう見るかは、僕の問題ではなくて、彼らの問題だ。僕は他人の為に絵を描いている訳では無くて、自分自身の為に描いているんだから。」

⚫「僕は見るもの全てに影響を受けたと思ってる。でもその話だけど、ピカソだって凡ゆる物から影響を受けているんだ。彼は何でも吸い込む海綿の様な物だ。」

⚫「いいかい、偉大な画家と云う物は、一人としてカテゴリーなんかには納まらない物なんだよ。この画家は印象派、あれは表現主義、あれはキュビズムと言葉で言えるのは事実だけど、結局は何の意味も無いし、そんな事を言った所で、単にスタイルの目星を付けるのが関の山で、絵そのものに就いては何も言っていないんだ。」

⚫(ロイヤル・アカデミーでのポップ・アート展を観て)「彼処(ロイヤル・アカデミー)に集められた絵を一枚残らず見ても、何も見ないに等しい。あそこには何も無いと僕は思う。空っぽ、完全に空っぽ。勿論ウォーホルが有るし、彼はマシな方だ。他に比べれば最高でさえある。でも、その他はまるで酷いものだ。」

⚫(「貴方に絵を描かせるのは何ですか?」の質問に対して)「要は絵描きなら見るものを本能で描く事が出来るか、或いは殆ど全くと言って良いほど出来ないかと云う事なんだ。(中略)つまり、本能的に何かを描く事が出来ると云う事なんだ。」

⚫「芸術家にとって問題は常に一つしかないんだ。つまり、テーマを表現すること、常に同一で変える事の出来ないテーマを、その都度新しい形式を見つける事に因って表現すると云う事なんだ。」

⚫「でもこれ(本能)をインスピレーションと混同してはいけない。詩的な霊感とか何とかとはまるで関係ないんだ。(中略)それは偶然的な物であると同時に、完全に明白なものなんだ。これなんだよ、僕が本能と云うのは。」

⚫「僕が偶然と呼んでいるものは、インスピレーションというもの、即ち、かくも長い間芸術家の才能とみなされてきたインスピレーションというものが介入する事とはまるで違うんだ。それは作品それ自体から生まれてくるもの、突然、出し抜けに現れてくるものなんだ。描くという行為は、結局はこれらの偶然と芸術家の意志との相互作用の、或いは無意識的なものと意識的なものとの相互作用の結果なんだよ。」

⚫「画家のアトリエは、賢者の石、即ちこの世には存在しないものを探求する錬金術師のアトリエでは無くて、どちらかといえば、恐らく化学者の実験室と言うべきだろう。」

⚫「僕が何とか何かを創造出来ているのは、一種の絶えざる拒絶に拠る物でもあるんだ。(中略)僕の作品は、自分が嫌いな凡ゆる物と、自分に影響を与える凡ゆる物のお陰という訳さ。」

⚫「抽象は僕には安易な解決法に思えるんだ。絵画のマチエールそのものが抽象的なんだけど、でも絵画と云う物はこのマチエールだけではなくて、マチエールとテーマとの一種の闘争の結果なんだ。そこに一種の緊張の様な物が生まれるのであって、抽象主義の画家はそもそものスタートからこの闘争の二つの項のうちの一方を除去してしまっている様に思う。つまりマチエールだけがその形態と法則とを決定するわけだ。これは僕に言わせれば、簡略化というものだよ。」

⚫「僕は何でも見るんだ。人生が目の前を通り過ぎる、その人生をじっと見る、これさ。人間はいつもイメージに攻め立てられている。無論、残るもの、決定的なものは極くわずかだけど、でもあるものは多大な効果をもたらす。」

⚫(「貴方は楽天家なんですか?」との問いに対して)「宗教を信じる人間の楽天主義ではなくて、生きていることに時折感じる喜び、何かを実現する心の高まりと言ったものだな。例えそうなる事が殆ど無いにしてもね。前にも言ったけど、謂わば絶望的な楽天主義だな。」

⚫「絵描きに取って重要な事は、描く事であってそれ以外の何物でもないんだ。」(アルシャンポーの「如何なる状況にあっても描くと云う事ですか?」の問いに対し)「そう、例え贋物でも、描きさえすればね。」


喘息の持病で兵役を逃れられた為に画家に為った事や、モンテカルロに住んでいた頃、カジノですり一文無しに為って、手許には描き終えたカンヴァスしか無かった為、仕方無く裏の下塗りされて居ない面に描いた事が、その後の代表的手法と為った事等、本人が「偶然と運」と云って憚らない人生を送ったベイコンの言葉は、死後20年経った今でも、その作品と同様に鋭さを全く失っていない。

ベイコン恐るべし、で有る。


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