「幾山河」と云う茶杓。

ほんの少しだけ寒さの和らいだこの間の日曜の夜は、テレビで「ゴールデン・グローブ賞」の授賞式を観ていたのだが、結局作品賞には「Boyhood(邦題:6歳のボクが、大人になるまで。)」が選ばれた。

この作品の事は以前此処に書いたので詳しくは記さないが(拙ダイアリー:「恋とは『超常現象』で有る」参照)、主人公の小年のナイーヴな演技と、その「12年間」を撮り続けたと云う企画の勝利なのだろう。

さて、子供の頃の「12年」と云う年月は非常に長い…が、オトナ、然も中年にも為ると「10年ひと昔」と云う割には、アッと云う間に過ぎ去って仕舞う感覚だと思うが、然しその「12年間」と云う年月は、人生に於いては有りと有らゆる事が起きて余り有る年月でも有る。

そんな「ゴールデン・グローブ賞」を観た夜中に、急にお抹茶が飲みたく為った僕は、以前から大事にして居た海田曲巷作の茶杓「幾山河」を久し振りに使ってみた。

この茶杓の作者海田曲巷氏は、1946年福岡県の久留米市に生まれ。16歳の頃から茶道に親しみ、早稲田大学在学中の1969年には、日豪交換留学生としてオーストラリアで茶会を開催。34歳の頃から茶杓を自作し始め、95年には畠山記念館で茶杓展を開催、その後各地美術館・ギャラリー等で作品を発表し続けている、小柄だが人間力溢れる茶杓師だ。

また海田氏の個性的な茶杓の数々には、共筒と共箱以外にもご本人が付けた時にはユーモアさえ感じる「銘」と、その由来が記された自筆の墨書紙片が付いて居て、その上が奥様が作った美しい裂に拠る「仕覆」に筒が包まれて居るのも、海田氏の茶杓を持つ大きな楽しみ。

さて、僕の持っているこの「幾山河」と云う茶杓には、「節」が何と3箇所も在って、海田氏はその3つの「節」を「山」に見立てて「幾山河」と命銘したのだろう。そしてその事を実証する様に、共箱内に納められた「墨書紙片」には氏の独特な丸文字で、

「幾山河 虎竹の多節 若山牧水の詩 『幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく』 袋インドネシア浮織」

と有る。

アート業界に入って20年超、今回ニューヨークに来て早や14年、結婚して10年が経過した、年々速く為って来て居る僕の年月の中にも、当然この茶杓の様に節目節目が有る訳だが、今自分が「山」に居るのか「河」に居るのか、その時には判らない事も良く有る。

また牧水の詩に有る「はてなむ国」とは、僕に取ってはアメリカで有り、人生その物でも有るに違いない…そして、その寂しく判然としない「旅」は未だ未だ続く訳だが、少年の頃に傷付き過ぎて今は滅多な事では傷付かなく為り、他人を傷付てのみ歩き続ける僕に出来る事は、それでも唯前だけを向いて歩いて行く事だけ、と云った諦念も有る。

元お殿様作の黒茶碗で頂いた深夜の独服で、僕をそんな気持ちにさせた茶杓「幾山河」は、大切にしたい宝物。

時差ボケで夜中に再び起きて仕舞った今朝のニューヨークは、これも再びマイナス8度…今朝もこの茶杓で一服頂き、暖まってから極寒の街へ働きに出よう。