親友と食べた「串」の数。

そう云えば、今回の来日便(ANA1009便)で観た映画の事を記すのを忘れて居た。

最近のANAの映画ラインナップは本当に良く為って居て、今回機内で観たのは新作と旧作、エンターテイメントとアーティスティック、アメリカとロシア、トリックと真実を表現した、良い意味で両極端・好対照な2作品で有った。

先ず「新」の方は、ルイ・ルテリエ監督2013年度作品の「Now You See Mee (邦題:「グランド・イリュージョン」)。此の作品は、米仏共同制作のスピード感溢れる「イリュージョン・マジック」物で、主人公を演じる4人のイリュージョニストを、アイラ・フィッシャージェシー・アイゼンバーグデイヴ・フランコ、そして大好きなウディ・ハレルソン(彼は他人とは思えない…本当に素晴らしい役者だ!)が演じて居る。

本作は何しろスピード感溢れる快作で、イリュージョン(と、そのトリックの暴露)も然る事ながら、脇を固めるマイケル・ケインモーガン・フリーマンの名演、美しく可憐なフランス女優メラニー・ロランの魅力、そして最後の最後に待っている驚愕のどんでん返しのシナリオ迄、見所満載の全く飽きない115分間で有った。

そしてもう1本の「旧」は、ソ連・イタリア共同制作の名作中の名作、アンドレイ・タルコフスキー監督1983年度作品「ノスタルジア」。

ノスタルジア」が機内で観れるとは正直驚いたが、久し振りに観たこの作品は相変わらず美しく、本作の完成と共に亡命し、数年で死亡したタルコフスキー本人の如き主人公の母や故郷への想いが、例えばヴェルディの「レクイエム」やベートーベンの「第九」等と共にゆったりと詩情豊かに描かれる様は、「『映画』はエンターテイメントとしてだけでは無く、『芸術』として存在出来るのだ!」と云う事を、改めて証明して呉れて居た。

しかしタルコフスキー54歳、エイゼンシュタイン50歳、トリュフォー52歳、パゾリーニ53歳、ミンゲラ54歳…早逝する名監督は早熟で有る。

さて、此処からが本題…3月の「日本・韓国美術セール」と「宗教美術セール」、そして「プライヴート・セール」の為、関西に出張して居た。

この地では、例えば偶々来日して居た外人重要顧客に、持参したプライヴェート・セールの為の重要作品をホテルの一室で見せたり、何時もの如く地場の顧客を訪ねて作品を観て歩いて居たのだが、出品に至る作品は中々無く、特に宗教美術に関しては、顧客の方が「そんなのが有ったら、こっちが買いたい位だよ…」等とボヤくばかり。

が、そんな事は「時の運」…めげない僕は気を取り直し、時間を見つけてMIHO MUSEUMで開催中の根来展に行こうとしたが、学芸員のO氏からの情報に拠ると、先日の台風の影響で石山からの道が寸断されていて、一番良いのは京都駅からのツアー・バスに乗る事だろうとの事。

が、そのツアーの時刻表を見てみると、朝出るバスは何と夕方まで戻って来ないでは無いか!これでは1日の予定が全てダメに為って仕舞うので、今回の出張中の観覧は泣く泣く諦める羽目に…来月15日の閉幕迄に観れると良いのだが(涙)。

こうした色々と上手く行かない時は、「初心」に帰るに限る…と云う事で、大阪での一夜を学生時代の友人Nと過ごす事にした。

このNとの出会いは、今から「43年前」に遡る。僕等は小中高一貫教育の男子校に、小学校1年生から高校を出る迄通ったが、実際にNと同じクラスに為ったのは、その12年間の内でも高校2年の時の1年だけだ。

が、その高校2年の1年間を含む、高校1年の途中からの2年間は、今から思えば、僕の人生が激変した非常に重要な期間で、それは端的に云えば「超優等生」から「超不良生」に転向したと云う事なのだが、その変化に立ち会い、人生再生の手助けしてくれたのがNだったので有る。

さて今では見る影も無いが、受験校で勉強の出来た僕は、中3から高1に掛けて学年の成績トップの50人で編成される「優秀組」と呼ばれるクラスに所属し、とても信じて貰えないと思うが(笑)「東大、或いは京大確実」と云われて居た。

中3で数II迄やって仕舞う様な別カリキュラムのそのクラスは、クラスメイトから「新年おめでとう。お前は数学の⚫︎⚫︎先生に気に入られてる様だけど、いい気になるなよ…」と云った年賀状が来る様なクラスだったが(笑)、そんなクラスで鎬を削って居た僕の性格も、かなり捻くれて酷かったに違いない。

そんな高校1年の1学期、中間試験後の或る夜、勉強中の僕は突然母親に呼ばれ、母親は僕を座らせると、いきなり「今日から、勉強を止めなさい」と云った。

頭の中は「?」だらけだったが、要は「勉強ばかりして、例えば家に来客が有っても挨拶一つ出来ない。そんな子に育てた覚えは無いし、この侭東大だの京大だのに行ったって碌な人間に為らないから、勉強なんか今直ぐ止めちまえ!」と云う事だった。

とても大学教授夫人の口から出た台詞とは思え無いが(笑)、大激論の末、僕は「止めろと云うなら止めてやるが、卒業する迄1秒もしないからな!」と啖呵を切り、母親も然る物で「それで宜しい」と云う事になった…ので、実際僕はその日から高校卒業迄、勉強と云う物を唯の1秒もして居ない(お陰で僕は、その後人より可也ゆっくりと人生を歩む事になった:笑)。

その結果、1学期の期末テストの平均点は25点…中間テストでクラス10番だった成績も、たった1回のテストで50人中48番迄落ち、クラスメイト達からの「彼奴ももう終わったな…」との聞こえよがしの声が聞こえ、僕はクラスでの友人(と、呼べるかどうか…)を全て失った。

長くなったが、此処で登場するのがNで、はぐれ犬と為った「元優等生」の僕を、初めて喫茶店や呑み屋に連れて行き、授業を抜け出して行く「サテン」で吸う煙草の味や、バーボンの味を覚えさせ、何よりも高校生活、いや人生がこんなにも楽しいものだと云う事を教えてくれたのが、Nだったので有る。

その高校時代のNは体も大きく、時折凶暴に為ったりもしたが、普段は気の優しい奴だった。そして勉強が大嫌いだった事も有り、高校2年から3年に上がれず落第して仕舞ったのだが、このNの素晴らしくも凄い所は、「2回目の高2」を含めての小中高の計13年間、何と「皆勤賞」だった事だ!

小中高の12年間、たったの1日も学校を休まないのもスゴいが、普通落第した2回目の高2等、サボり続けるのが当たり前では無いか?…なのにNはその追加の1年も、1日も休まず毎日学校に来て居て、そしてその理由が何と「勉強は嫌いだったが、学校は好きだった」から、と云うから驚く。

さて久し振りに会ったNは、相変わらずの巨体と白髪の1本も無い長髪で、高校の時から全く変わっていない。そしてそのNが連れて行ってくれたのは、大阪名物串揚げ屋…カラッと揚がり、執拗く無い「お任せ」串揚げは、「ストップ」と云う迄出され続けると云う強者店だった。

お互いの近況報告や昔話、上野の老舗どら焼き屋の社長や、ファシズムクラシック音楽の本を出している大学教授、売れっ子ゲーム・クリエイターやオーケストラのチェリスト、詩を専門とする出版社の常務等、今では各界で活躍している同級生達の噂話に花が咲いたが、しかし話は、僕達の長い付き合いが「生きているからこそ、続いているのだ」と云う事に落ち着いた。

「血圧が高いんだ」とボヤくNと、コレステロール上限越えの僕は、食べ終わった串揚げの串の数を慎重に数えながら話して居たが、2人合わせて結局僕等の「年月」と同じ位の「串の数」を数えて夕食を終えると、お互い50に為った巨体を揺すりながら握手を交わした。

そして「まぁ、後20年位はヨロシクな…」と僕に告げたNの手は、相変わらず大きく熱かった。

利害も立場も全く関係の無い「43年間の友情」と、「40本(強)の串」(笑)に因って「初心」に戻った北新地の夜は、そうして更けて行ったのでした。