「百雑砕」。

2013年も、残り後2週間。

今年も本当に色々有ったが、仕事では最後の最後迄気が休まらない事ばかり…肉体的にも精神的にも疲れがピークで有る。

そんな時にマヨンセからリンクを貼ったメールが来たので、そのリンクを開けて見ると、内容は新しい「カップ麺」の発売告知だったのだが、読んで恐れ戦いた。

エースコック EDGE 鬼マヨ焼きそば 新発売…既存品では味わえない『驚き』と『やりすぎ』でEDGEを効かせた新ブランドが誕生!」

ううむ、食べたい様な食べたく無い様な…エースコックの健闘を祈る(笑)。

さて今日は、先ずは畏友の新刊本を紹介したい。その本とは「囚われない練習 人生を変える禅の教え」(宝島社)…東京谷中に在る「全生庵」当代住職、平井正修師に拠る初の著作だ。

全生庵は、明治維新で殉死した志士達を弔う為に山岡鉄舟居士が建立した臨済宗の禅寺で、名人と謳われた落語家三遊亭圓朝の墓と、圓朝が蒐集した「幽霊画」のコレクションが有名だが、それ以上に中曽根康弘細川護煕、最近では安倍晋三の歴代総理、石破幹事長等が訪れて座禅を組む禅堂として、日本政治史にその名を刻んで居る。

全生庵七世の平井住職とは、数多のご縁に拠って親しくさせて頂いているのだが、住職はテレビでバンジージャンプをこなしたり、安倍総理に座禅指南したりと忙しい中でも、筆者が来日する度に定期的に会って下さる、全くこだわりの無いオープン・マインドで、肝の座った、筆者の思う所の「禅僧の有るべき姿」を具現して居る、尊敬すべき方なのだ。

その平井師に拠って本作の為に選ばれた禅語の数々は、「仕事」「人間関係」「物質的豊かさ」「身体・生命」「自分らしく生きる」の各章に配され、例えば「庭前柏樹子」や「啐啄同時」、「放下著」等の馴染みの深い物から「莫妄想」や「百雑砕」等の筆者未聞の語迄、非常に分かり易い日常的な喩えと共に胸に迫り、鋭く自省を促す…是非味読して頂きたい。

で、此処からが本題。

帰京後の最初の夜は、ニューヨーク在住の現代美術研究家で本展ゲスト・キュレーターの富井玲子さんのお招きで、パルコ・ミュージアムで開催されるギュウちゃんの展覧会、「篠原有司男・篠原乃り子二人展 愛の雄叫び東京篇」のオープニング・レセプションへ。

今回の展覧会は、本年度サンダンス・フィルム・フェスティヴァルで「ドキュメンタリー部門監督賞」を受賞した映画作品、篠原夫妻を主人公とした「キューティー&ボクサー」の日本公開を記念する物だが(序でにアカデミー賞のチャンスも!)、何しろ展示作品のパワーが凄い!

「ボクシング・ペインティング」や「オートバイ」等が並ぶ中でも、特にスゴかったのは、小部屋の壁一面に描かれた乃り子さんの「キューティーの絵巻絵画」(2010)で、青の絵具で描かれた彼らの「日常」はその筆力と共に一見の価値が有るので、21日公開の映画と共に必見の展覧会だ。

翌日は、六本木のカラオケに居た「代官山の女王」Aさんに呼ばれて陽水と爆風を歌い、その後はAさんに下北の飲み屋に連れられて、其処で常々会いたいと思って居た現代美術家に滔々会う…そのアーティストとは、坂口恭平氏(拙ダイアリー:「過去への回帰」参照)。

結局下北の飲み屋では「新政府内閣総理大臣」と肩書きの入った名刺を差し出した坂口氏と、先週ニューヨークで坂本教授の仕事をしていたと云う映像作家の柿本ケンサク氏、そしてAさんと筆者の4人で飲む事に為った。

坂口恭平躁鬱日記」(この本は、マジに素晴らしい。中原昌也の「作業日誌:2004-2007」位スゴい!)と云う本を医学書の出版社から出したばかりの彼は、当にその躁状態で「物語」を次々と語り、実はそれは柿本氏へのプレゼンを兼ねての物だったりもしたのだが、そのアイディアは止めど無く溢れ出る泉水の如くで有った。

そしてそのまた翌晩はワタリウムへ赴き(浩一氏、年取られた…)、坂口氏と若き写真家斎藤陽道氏の「筆談トーク」を聴く。

斎藤陽道…この30歳の聴覚障害者で有る写真家は、障害者や病人、ゲイ等のマイノリティのポートレイトを撮り、その作品を通して「それでもこの世は美しい」と観者に感動と苦痛の双方を与える。そしてこの2人の「筆談」は暖かく、特に「躁」坂口の止めどもない言葉が字や絵に変わり、それを受け止める斎藤の懐の大きさに感動さえ覚える。

「筆談」の途中で、坂口は「斎藤の作品には『タイトル』なんか要らない。何故なら斎藤のイメージは、既に文字化されているから」と書いた…文字面表層のコンテクストなんか捨て去るべき近代美術の終焉と、新しいアートの誕生を予想させるアート・パフォーマンスとしての「筆談」を堪能した。

そして坂口恭平氏との邂逅、彼のアートと著作、今回の筆談を観て思い出したのが、上に記した平井住職の著作中に見つけた「百雑砕」と云う言葉だった。

平井師に拠ると、「百雑砕(ひゃくざっさい)」とはありとあらゆる物を木端微塵にすると云う意味で、では木端微塵にすべきは何かと云うと、それは「順境を好み逆境を嫌う二元対立的思い」や「正しい判断を鈍らせる煩悩や妄想」、「自由な発想を妨げる拘り」で有り、そんな物は打ち砕いて仕舞うが良い。

「拘り」は時代と共に必ず古く為り、古いやり方に固執するのは、失敗を恐れる余りチャレンジ出来ない心の弱さでもある。真の一流とは何も持っていない事で有り、何にも囚われない事、あるがままを受け容れ、自由な世界に心身を解き放つ事の出来る人の事で有る…との事。

坂口恭平は若き躁鬱病アーティストだが、「死ななきゃなんでも良い」し、その意味でこれからもウォッチして行きたい、素晴らしくポテンシャルな作家だと思う。

そして自分も失敗を繰り返しながらも、其処を目指して生きたい…と、年末の誓いを立てた孫一なのでした。