「足音」。

散々悩んだ挙句、結局僕はオフィスの近所のデリに寄って、プラスチックの箱にカット・ウォーター・メロンとオレンジをぎゅうぎゅう詰めにしてから、セルツァー・ウォーターをフリッジの棚から引っ張り出して買い、「カヴァレリア・ルスティカーナ」を口笛で吹きながら何時もの公園へと向かった。

もう8月だと云うのに、此処最近のニューヨークの気温は26、7度位迄しか上がらず、湿気も無いので非常に過ごし易い。その上陽射しが暖かいので、何時もなら顔を顰めながら軽業師の様に体を動かし、向かってくる人にぶつからない様にしながら、足早に歩く人達で溢れ返るお昼時の六番街も、今日だけはほんの少しだけスローモーションを掛けたフィルムの様に見える。

ロックフェラー・センターに在るオフィスから、歩いて5分程の処に在るブライアント・パークは、何時もの様に近所で働く人達で混んでいたが、何とか一人用の椅子を大き目の木の下に見つけると、僕は其処に腰掛け、サングラスを外してセルツァー・ウォーターを一口呑み、プラスチックの箱を開けて甘そうに熟れた西瓜を口へと運んだ。

甘い西瓜の種が歯に当たり、小さな溜息共に吐き出して廻りを見渡すと、公園の真ん中に大きく取られた芝生の上では、フラフープをする若い小太りの女性や、ハイスクールの生徒らしい女の子達のグループが、手を繋いで「グループ・ウェイヴィング」の練習をして居る姿が見える。

フラフープの方はそれなりの腕に見えたが、女の子達の方のウェーヴィングは全く上手く行っていない様子だった…が、彼女達から聞こえて来る歓声は、ウェーヴィングの練習の首尾自体は決して大した問題では無い、と云う事をそれと無く僕に知らせて居て、僕はフラフープの女性の方を少し可哀想に思い始めた。

視線をもう少し上げると、緑薫る木々の豊かな葉の間に聳える巨大なオフィス・ビル群が眼に入り、ふと僕がもうこの街に14年以上も住んでいる事実を思い出させたが、前を通ったサンダル履きの女性の足の指が急に僕の視界に入り、その想いは一瞬にして消え去って行った。

今迄何度か思った事が有るのだが、女性の足指程、個性的な物は無い。そしてどんなに顔が美しかったり、スタイルが良かったり、脚が綺麗だったりしても、足指が美しくない女性には何故か興醒めをする。別に 僕は足指フェチでも何でも無い筈なのだが、逆に普通のルックスでも足指が美しい女性は、何の理由も無く心も綺麗に違いない、と云う気がして仕舞うから不思議だ。

知己で無い女性の足指は、この時期、然もサンダルを履いて居ないと見る事が出来ない。そしてそれは、僕に取って見逃しがちな究極的真理の様な物で、この足指の美醜の問題は、細部のみこそが全体を露わにする事を可能にする、と云う事の典型の様に思えるのだ。

西瓜やオレンジを頬張りながら、眼の前を通り過ぎて行く色取り取りのサンダルを履いた女性達の足指を、僕は暫く観察し続けた。そしてプラスチック箱のフルーツを平らげ、暫く眼を瞑ってボーっとした後再び眼を開けると、綺麗な薄毛を沢山付けた、本当に小さな毛虫が膝の上に居た。

僕はズボンを汚さない様にその虫をナプキンで包んで潰すと、プラスチックの箱に入れ、固く為った体を解す為に一度大きく伸びをしてから、サングラスを掛けて立ち上った。そして雲の浮く真っ青な空の向こう側を仰ぎ見、マーラーの五番の「アダージェット」を口遊みながら、毛虫の死骸の入ったプラスチックの箱を捨てようとゴミ箱に向かって一歩踏み出した時、僕は確かに「それ」を聴いたのだ。

51歳に為った日の、午後の事だった。